6人だけでも 6/25 | no title

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高をくくる

 

 

今日は毎月恒例の神戸での手話サークル活動だった。

10人居るはずのスタッフ達も、今回は6人のみである。

皆それぞれ頑張らなければいけない理由があっての欠席なのだ。

仕方ない。

 

さて、朝急いで神戸についた。

鍵を解錠してレクリエーションホールに入った。

ここで3年目にして初めて解錠出来る時間を知る。

次からは早めに来てみんなが来る前に色々な準備を終わらせておこうと思う。

 

受付時間が終わる。

社会人:学生=9:1。

 

学生中心だったはずが、いつのまにやら社会人中心になっているではないか。

ああ、なんということなのだろうか。

社会人サークルになってしまった。

居心地の良さを感じた社会人は毎月通い、

学生は予定があることや、社会人との接しづらさから

どんどん遠のいていく……

 

いっそ、学生の参加率が回復するまで、学生限定にしたらどうだろうか。

事実学生限定にすると、沢山の参加者が来るのだ。

みんな残念ながら社会人の登場を望んでいない。

 

手話サークルに通う社会人というと

実際のところかなり面倒くさかったり、

セクハラまがいのことをしていたりと

ろくでもない人々が多いのが残念な現状である。

 

しかし、中には過去にこの団体を運営していたOBOGさんや

良心的な方も存在する。

一律社会人だとくくることが出来ない。

 

なんというジレンマか。

参加者が時間とともに確実に減ってきている。

 

反面良くなった点といえば

スタッフ達の仲は全体的に良くなってきていると思えた。

 

しかし、スタッフが仲良くなることのメリットは

やはり参加者に還元したいものである。

 

手話コーラスや、手話劇の発表は自己満足の面が強いと思っているが

企画運営に関しては自己満足で完結することを許していない。

 

目的あっての行動なのだ。

目的を、対象を、見失ってはいけないのだと思う。