関西圏 手話学習学生の学習環境 | no title

no title

高をくくる


気晴らしに「手話」テーマを更新したいと思う。昔のノベルゲーム系を検索してたどり着いた人達には検討違いもいいところだが。

僕は、大学の手話サークルで代表を務めていた。それに至るにはやはり手話をかなり学習してきたのだが、そんな僕にとっての学習の現状をここに書いておきたい。

聴学生が手話を覚えていく方法(過程)はいくつかある。
○学校の手話サークルに所属する
○手話でコミュニケーションをとる難聴・ろう学生と友達になる
○地域の手話サークルに所属する
○地域のろう者が集まる場に行く
○授業で習う
○その他

よほど積極的な人間以外は、一番上の『学校の手話サークルに所属する』という方法を取るのだろう。僕もそうであった。

恐らく英語などもそうだろうが、手話習得もコミュニケーションの中で獲得することが一番早い方法である。(その際、一人ではなく複数の人間とコミュニケーションすることを薦める。手話にも癖や見辛さ、個人の独特な表現があるからだ。)

しかし、『学校の手話サークル』に所属することはそれとは少し反れたところにあるのが現状だ。
ここでは、大学の手話サークルについて書こうと思う。

関西には色々な大学があり、色々な手話サークルが存在する。僕は自身の手話サークルに所属しながらも、他の大学の手話サークルに参加したり、話を聞いたりしてきた。やはり、活動方針はバラバラだ。

・歌を手話で表す過程で手話単語を学ぶサークル

・手話歌の発表機会が多く、昼休みしか手話を学ぶ時間がないサークル

・文章の表し方などを考え、サークル内に居る社会人の難聴者に伝わるかどうかなどの確認までをするサークル

・学習系と遊び系を分けてするサークル


……などなど。

聴学生は所属するサークルによって大きな影響を受ける。
『活動時間が終わると手話を表さなくなる』というのが、今の聴学生によく見られる状態だ。英語の授業を終えると、日本語で話し出す普通科の学生のようなものなのかもしれない。

しかし、その環境を眺めて思うのは聴学生が主体となっているということだ。サークルには勿論聴覚障害学生もいるだろうし、居なかったとしてもコミュニケーション方法としての手話を忘れてしまっていいのだろうか。手話が方法として定着しない環境が増えつつある。

これを改善することは、注意喚起と、自ら姿勢を見せていくしかない。自分、ひいてはサークルを率いるメンバーと話し合って、少しずつ、蝕むように。

とはいっても、所詮サークル。思うようにはいかないものだ。意識のレベルにつかれてしまわないように、気楽に考えていくしかないのでないだろうか。

環境は重要だ。
そう、ひしひしと思う。