三月十一日
完全に受験を終えました
最初は近畿大学でした
公募推薦を使い、自宅で英語の答え合わせをしたときは
絶望に打ちひしがれて壁にもたれ掛かりました
半分くらいしかなかったので……
ですがそれとは裏腹
結果は上手くいきました 十月とか、その辺のことでした
次は矢継ぎ早に関大でした
センター試験からも逃げていた自分は緊張感がありませんでした
十時寝、三時起きとは聞こえがいいですが
クラスの子に「意外と寝てるよね」と言われました
そうです、意外と寝てます
しかもこれ完全に起きるまで結構時間が掛かります
いよいよ試験の一日目を迎えて思いました
「この試験、割といけた」……と
そして三日間受けたものの
その最初の試験を終えたあとの自分は勉強することを
半ば放棄しました
受験生にとって油断は本当に大敵なのです
発表の日を迎えて
振り返れば受験の日も全く緊張していなかった自分は
関大からの不合格通知は速達だと聞き
発表日の夕方になっても来ない状況から
「自分は受かってる!」
とか根拠のない確信を得ました 単なる間抜けです
そして待ちきれなかった自分は
インターネットを介して結果を見ました
残念ながら不合格です
三回受けて三回分のその文字を見た自分は
本当に停止しました
何回も入力したり、何かよくわからん番号を入れて
このページ壊れてるんじゃないか?
と思ったりもしました
布団で眠った次の朝
その布団の中で落ちた記憶と受かった夢が混ざりました
「あーよかった夢だった」
と現実を拒否しだしていました
これは後に行った、関大後期説明会の先生も
体験していた感覚だったそうです
若干塞ぎ込んでいた自分には一応まだ機会が残っていました
後期入試です
ただ後期入試は周りも
「前期落ちて後期受かるのは奇跡」
「後期は無理」
とザワザワ化していたので
そして何よりも卒業式と被っていたので
頭の中からは削除していました
ただ母から
「後悔だけは残さないようにしなさい」
といわれ家庭状況に大変感謝しました
数学を徹底的にやり直し
ひたすら数学をやり、最早気分は数学男でした
ついでに腹筋が割れ始めました
しかし後期入試を終えるともとに戻りました
後期入試の日
隣の欠伸をしながら試験を解く人と隣になり
数学で点を取る事を考え、やりました
実際、数学は、あまりにも役に立ちませんでした……
むしろ樹形図なんか書いたくらいなので基礎学力とか勘とか
そんな感じの戦いになってしまいました
そして発表日
から一日、自動車の教習を終えると
関大からのレターパックがありました
速達ではなく……
期待した父方、祖母祖父に何とか合わせる顔が出来ました
精神病の祖母にも恐らく向かい合う事が出来ると思います
受験生終わり、高校生終わり
大学生始まり
どんどんと人生は進みますね……