語れば語れ | no title

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高をくくる

先日、部員であるKKやクラスメイトから
「ノベルゲームって結局分からん」
という話を聞きました

確かに分からん…かも
そりゃ言葉の定義として語ることは出来ますけど
なんというか専門家チックですしね
取りあえずその場では
「小説とは違う、凝った紙芝居」という説明をしたのでした

凝った…と、凝ったとは?
つまり演出か?

無い方がマシな演出を作るより
簡素で素朴で人に考えさせるそのままの作りの方が
いいとはよく言う話
演出はあくまで化粧みたいなもので
内面やそのままの外見には到底及ばないのである
…のような事はちょっと日本史の時間に考えたりすること
も、勿論そればっかり考えてる訳じゃないですけど
外見内面なんて話をしだすと思ってしまうのは
外見→絵
内面→話
なんていう構図
そんなのってないよ、とは思うものの
若干なら的をいてるんじゃないかとも思うこの頃

演出は、書いてる人のイメージと読者を
より同調させるものなのかもしれない
通常のノベル(小説)などだと人の受け取り方によっては
多様な解釈が生まれる

……見た事もない天女のような少女を、
だしぬけに、お前のものだといって指さされたその気味の悪さ……疑わしさ……
そうして、その何とも知れない馬鹿らしさ……。


例えばこんな文があるが
この「見たこともない天女のような少女」からは
当然ながら黒髪か茶髪か衣服は何か、など一切の情報は読み取れない
天女の羽衣、天女というイメージから黒髪で何かフワフワしている服を
着ているイメージを瞬時に自分は抱いてしまった
……が、これも当然、自分以外では解釈も違うだろう
これが小説とビジュアルノベルや挿絵などがあるものの場合

既に何をかいているか自分でも理解できない
一体この文章はどこに向かっているのだろうか
無論の事これは空で振り回された文章である

先程まで言っていたのは演出がどういうものかという事
だろうか、よく分からんけど
作者の脳内世界とのシンクロ率を上げていくもの?
けれど、それだけにあらずは言わずもがな

演出は演出だ
演出がどうあるかは置いておき
どう演出するかについても考えるべきだろう

例えば主観を第三者ではなく
主人公に置いてることを利用して
焦点の位置をずらしたり(対象者にピントが合わない)
演出だったり
その時々の雰囲気を出すものの演出だと
画面を赤く点滅させてホラーな気色を漂わせたり
取りあえずそうだ
ノベルゲームには人を興奮させる為の手段としての
演出がある

そして何故かここで力尽きるのが僕なのだ
ホントは頭の中にこの3倍程書く内容があるわけだけど
ランニングタイムに入るらしいです…はい

この無駄に長い語りはまたいつか…
望まれない記事達の一つとして…