最近、ある本を読んでいて、昔懐かしい宮沢賢治の詩に出会いました。
そして、ちょっと感動したので、分かち合いたいと思います。
長くて、すいません。
「雨ニモマケズ」
「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり
そして忘れず 野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば行って看病してやり
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず
苦にもされず そういうものに わたしはなりたい」
こんなに長い詩だとは思わなかったのですが、これは彼の地元
岩手県花巻に住んでいた「斉藤宗次郎」という、当時は珍しい
Christianについて、書いたものです。
斉藤さんは禅宗の寺の三男として生まれましたが、内村鑑三の著書
に出会い、聖書を読むようになり、Christianとなりました。
この当時(100年ちょっと前ですが)は、キリスト教はまだ「耶蘇(やそ)教」、「国賊」などと呼ばれて、人々から激しい迫害を受けていました。親からは勘当され、人から石を投げられ、言われの無い中傷が
相次ぎ、小学校の教師を辞めなければなりませんでした。
迫害は家族にも及び、長女の愛子ちゃんもヤソの子供と言われて、
腹を蹴られ、腹膜炎を起こして、数日後、9才の若さで天国に行って
しまいました。
その後は新聞配達をして生計を立て、朝3時に起き、夜は9時まで働く
という重労働の中、肺結核も患いました。夜の時間は聖書を読み、
祈る時としましたが、不思議なことに、そういう生活を20年も
続けることができました。
朝の仕事が終わる頃、雪が積もると小学校への通路の雪かきをして
道をつけ、小さい子供を見ると抱っこして校門まで走り、雨の日も
風の日も、雪の日も休むことなく、地域の人々のために働き続け
ました。自分の子供を蹴って死なせた子供達のために。
新聞配達の帰りには、病人を見舞い、励まし、慰めました。
やがて、1926年に故郷の花巻を離れ、東京に移る日がやってきました。
誰も見送りに来てくれないだろうと思って、駅に着くと、そこには
町長をはじめ、町の有力者達、学校の教師、たくさんの生徒達、神社の神主、仏教の僧侶、さらに一般の人達も来て、町中の人々でごったがえ
していました。
彼が普段からしてくれていたことを、彼らは見ていたのです。
感謝を表しにやって来たのです。その中の一人に宮沢賢治がいました。
斉藤さんが東京に着いてのち、最初に手紙をくれたのも、彼でした。
宮沢賢治はこの5年後に「雨にも負けず...」の詩を書きました。
たとえ迫害されても決して怒らず、ただ静かに微笑み、自分の利益を追求せずに、人々のために尽くす彼の生き方に深い共感を覚え、この詩を
書いたようです。
何だか、凄い感動したので、分かち合いたいと思いました。
長文を読んで頂き、ありがとうございました。(^_^)/
