— 歴史に残る神秘現象とその意味
まほろ「真央、実はね…昔の文献には“仏像が動いた”って話、意外とたくさん残ってるんだ。」
真央「えっ、本当に?動いたってどういうこと?像が歩いたとか…?」
まほろ「そう。歩いたり、涙を流したり、突然光を放ったりね。例えば有名な話だと――」
■ 奈良・東大寺の盧舎那仏が“光を放った”
奈良時代、東大寺の大仏(盧舎那仏)が完成した年。
完成を祝う大仏開眼供養の最中、伝えられるところによれば――
大仏の眉間から神々しい光が放たれた
その光は遠く天竺(インド)や震旦(中国)まで届いたという記録が『東大寺要録』や『続日本紀』に残っている。
これは比喩ではなく、“本当に光を放った”と信じられていたそうです。
■ 仏像が歩いた?平安期の不思議な伝承
『今昔物語』や『扶桑略記』には、こうした話がいくつも登場します。
とある寺に安置された観音像が、夜な夜な門前に現れ、村人を救ったという。
朝になると、像の足元には濡れた足跡が残っていた。
これは“像の魂が抜けて動いた”のではなく、「仏そのものがその場に現れた」=**出現(しゅつげん)**の形として語られます。
■ 戦国武将も見た“動く仏”
戦国時代、武田信玄の軍が戦地へ向かう途中、とある寺に立ち寄ったとされます。
その時、武田軍の兵が寺の仏像がうっすらと頷いたように見えたと記録に残っています。
信玄はそれを「勝利の兆し」と捉え、寺に供物を奉納して出陣したとか。
■ 涙を流す仏像たち
江戸時代以降も、「観音像が涙を流した」「不動明王が濡れていた」などの伝説が各地に残ります。
特に災害や戦争の前後には、そうした“仏像の異変”が起こったという噂が広がることが多く、
「仏が人々の苦しみを感じ、涙した」
「世の乱れに仏が悲しんでいる」
と解釈されました。
■ まほろの視点:なぜ“仏像が動く”のか?
まほろ「こうした伝説は、本当に像が動いたというよりも、**人々の信仰心や感受性の中に仏が“動いた”**とも言えるんだよ。」
真央「ああ…心の中で“仏が動いた”のを、現実にも見た気がしたってことかも?」
まほろ「うん。けれど中には、実際に“誰も触っていないのに像が倒れた”とか、監視カメラに映った不思議な動きなどもあって、一概に否定できない話もある。」
■ 現代においても…?
実は、近年も「観音像が光った」「目が動いたように感じた」など、時折SNSで話題になります。
もちろん科学的には“錯覚”や“光の反射”で説明できるかもしれません。
ですが――
「人々が“心で見た真実”こそ、仏像が動いた証なのかもしれません」
■ 最後に:あなたの前にある仏像も…
見上げると、ふと優しく見守られているように感じることはありませんか?
それは、あなたの内側にある“仏心(ほとけごころ)”が目覚めた瞬間かもしれません。
まほろ「大切なのは、“見たか見ないか”じゃない。“心が感じたかどうか”なんだよ。」