— 高野山奥之院に今も生きるとされる“弘法大師”の神秘
まほろ「真央、空海って“生きたまま成仏した”って言われてるって知ってた?」
真央「えっ、生きたまま? どういうこと? 亡くなったあとじゃなくて?」
まほろ「そう。弘法大師・空海は、実際には承和2年(835年)に入定(にゅうじょう)=瞑想状態に入って“肉体を保ったまま”成仏したって信じられているんだ。つまり、“今も瞑想している”という信仰があるんだよ。」
■ “入定”とは何か?
仏教用語で「入定」とは、深い瞑想状態に入り、意識を止めることを指します。
空海は、自らの死を“ただの終わり”とはせず、即身成仏=この身のまま仏となる道を選んだと伝えられます。
その結果、彼は亡くなったのではなく、“修行を続けているだけ”と考えられ、今も高野山奥之院で祀られています。
■ なぜそんな伝説が残ったのか?
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空海の修行力とカリスマ性
彼は密教の開祖であり、日本中に膨大な影響を与えた存在。
そのスケールの大きさから、「死を超えた存在」として語り継がれてきたのかもしれません。 -
高野山奥之院の神秘性
奥之院には空海が入定しているとされる霊廟があり、今も毎日、僧侶たちが食事を運んでいます。
これは「弘法大師は生きている」という信仰を象徴する行為です。
■ スピリチュアルな視点で見ると…
まほろ「真央、“生きたまま成仏する”っていう考え方は、仏教的にもスピリチュアル的にもすごく深いんだ。」
真央「たしかに…生きてるうちに“魂が完成する”っていう感じ、すごい神秘的。」
まほろ「そうそう。空海の教えには、“心が仏そのものになる”っていう思想があって、それは“今ここ”で悟りを開けるっていうメッセージでもあるんだよ。」
■ 私たちに何ができる?
- 瞑想や写経を通して、内面の仏性に触れてみる
- 高野山など、空海ゆかりの地を訪れて、霊気を感じる旅をする
- 自分の“信じる力”を取り戻す
— 信仰とは、外にあるものではなく、自分の心とつながるもの。
真央「空海って、すごく遠い存在だと思ってたけど、なんだか少し身近に感じられたよ。」
まほろ「うん、“生きたまま仏になる”って、実は僕たちの内面にもある可能性かもしれないね。」