闘う神は、なぜ“救い”の存在となったのか?
真央「まほろ、“阿修羅(あしゅら)”って聞くと、
なんか怒ってる怖い神さまってイメージがあるんだけど…
仏教で出てくる意味って、実はもっと深いんだよね?」
まほろ「そうだね。阿修羅って、たしかに“怒り”の象徴として描かれることが多いけど、
その怒りには、“理不尽に立ち向かう正義”や、“誤解されやすい優しさ”も含まれているんだよ。」
■ 阿修羅ってどんな存在?
真央「まず、阿修羅って神さまなの?悪魔なの?」
まほろ「面白い質問だね。
阿修羅は、インド神話では“アスラ(asura)”って呼ばれていて、
神(デーヴァ)に対抗する存在だったんだ。
でも仏教に取り入れられてからは、“修羅界(しゅらかい)”の住人=怒りと闘争に支配された存在として位置づけられている。」
真央「つまり、神でも悪魔でもなく、“戦いに生きる者”ってことか…」
■ 阿修羅が怒る理由
真央「でも、なんでそんなに怒ってるの?」
まほろ「阿修羅の怒りは、単なる攻撃性じゃないんだよ。
たとえば──」
- 愛する者を守れなかった悔しさ
- 自分の正しさが認められなかった悲しさ
- 世界の不条理に耐えきれなかった絶望
まほろ「そういう“報われなかった気持ち”が、阿修羅の怒りの根源なんだ。」
真央「…それって、すごく人間っぽいね。」
■ 三面六臂(さんめんろっぴ)の意味
真央「よく見る阿修羅像って、顔が三つ、手が六本だよね。
あれにも意味があるの?」
まほろ「うん。三面は、“怒り・悲しみ・静けさ”を表すって言われてるよ。
そして六臂(ろっぴ)は、“さまざまな戦いの形”を表す。
つまり、“闘いながらも、心にはいろんな感情を抱えてる存在”なんだ。」
真央「強くて、でも孤独な存在って感じがする…」
■ 阿修羅は私たちの“もうひとつの顔”?
まほろ「実は阿修羅って、“人の心の一面”としても捉えられてるんだよ。」
真央「えっ、どういうこと?」
まほろ「たとえば──」
- 頑張っても報われないとき
- 誰にも気持ちが理解されないとき
- 優しさが伝わらず、逆に責められたとき
まほろ「そういうとき、“怒り”が湧くのって自然なこと。
でもその怒りの奥には、“理解されたい”とか“守りたい”っていう優しさがあることも多いよね。」
■ 阿修羅が教えてくれること
真央「じゃあ、阿修羅って“怒りに飲み込まれてはいけない”って警告でもあるの?」
まほろ「そうだね。でも同時に、“怒りを否定する必要もない”って教えでもあると思う。
大切なのは、怒りの奥にある本当の感情に気づいてあげること。
それが、怒りを“力”に変える鍵になるんだよ。」
真央「なんだか…阿修羅って、私たちの味方なのかもしれないね。」
■ 戦う神は、いつも孤独だった。そして、やさしかった。
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仏像の中でも、強く印象に残る阿修羅像。
その怒りの表情の奥に、あなた自身の“悲しみ”や“願い”が映っているかもしれません。
“怒っていいんだよ”
“でも、その奥の気持ちを、ちゃんと見つめてあげてね”
そう語りかけてくれるのが、阿修羅という存在なのです。