少年少女世界伝記全集の第17巻です。

クララ=シューマンは真実の愛に生きたピアニストです。
豊臣秀吉は知恵と慈悲の武将と呼ばれた人物です。
1819年、ドイツのライプチヒで一人の女の子が生まれました。
彼女はクララと名付けられました。
クララの父のフリードリヒは一流のピアニストでした。
フリードリヒはクララにも音楽の才能があることを見抜きました。
クララは4歳のときからフリードリヒにピアノを学ぶようになります。
クララの8歳の誕生日に、フリードリヒは音楽会を開きました。
クララはモーツァルトの協奏曲を見事に演奏してみせました。
その後もフリードリヒのハードなレッスンは続きます。
父が厳しいので、クララは泣きそうになるときもありました。
そんな彼女を慰めてくれたのはロベルト=シューマンという男性でした。
ロベルトの夢は作曲家か詩人になることだそうです。クララとロベルトの間に愛が芽生えました。
21歳(1840年)のとき、クララは父の反対を押し切ってロベルトと結婚しました。
この日から彼女はクララ=シューマンとなったのです。
ロベルトは作曲家になり、クララは彼の作った曲を演奏します。
愛する夫と心を一つにして、クララは芸術の道を進み始めたのです。
しかし、幸せは長く続きませんでした。1856年にロベルトが他界してしまったのです。
これからはロベルトの分まで音楽を…
作曲家のブラームスにも助けられ、クララの新しい人生が始まります。
ロベルト=シューマンの作った曲を多くの人に聴いてほしい…
そんな思いを胸に抱いて、クララ=シューマンはピアノを引き続けました。
そして76歳のとき、永遠の眠りに就きました…
天下統一を成し遂げた人物です。
1537年、尾張の国で豊臣秀吉は生まれました。
父は木下弥右衛門という名で、秀吉の幼い頃の名は日吉丸だったそうですが、
詳細は定かではありません。
偉い侍に仕えるために、日吉丸は東の国へ向かいます。
そして18歳のときに織田信長に仕えるのでした。
やがて日吉丸は一人前となり、木下東吉郎秀吉と名乗るようになりました。
秀吉は大阪にある平野の中心に城(大阪城)を建てました。
しかし、このことで秀吉を成金呼ばわりする人も少なくありませんでした。
秀吉は戦いのことばかりでなく、年貢についても考えていました。
大阪城が建てられてから約二年後、秀吉は『豊臣秀吉』と名乗るようになったそうです。
1598年、息子の秀頼と共に醍醐で花見を楽しんだ後、彼は寝込んでしまいました。
そして同年の8月に他界しました。













