野党時代から官僚操縦に関心

 

 2012年に刊行された菅首相の著書「政治家の覚悟 官僚を動かせ」は体系的な政策集とはいえず支持者向けの報告書に近いが、それでも菅首相の関心がよくわかる。それは副題のとおり官僚を動かし、彼(女)らの知識・経験を特定の政策課題に動員することである。

 本書にある菅首相の官僚評は下記のとおりである。

 

 おそろしく保守的で融通のきかない官僚ですが、優秀で勉強家であり、海外の状況も含めて組織に蓄積された膨大な情報に精通しています。官僚と十分な意思疎通をはかり、やる気を引き出し、組織の力を最大化して、国民の声を実現していくことが政治家に求められるのです。(11頁)

 

 筆者の感覚だと政治家の官僚評とは官僚の独善、傲慢を強く批判するものであり菅首相の官僚評にもそれは読み取れるが基本的には官僚を高く評価している。

 本書の刊行は民主党政権時代だが、おそらく自民党の「政権復帰」を確信していたのだろう。

 そうだとしても野党時代に官僚操縦の重要性を主張した事実はこの主張が決して時流に乗った短絡的なものではないといえるのではないか。

 

人事と政策は一体

 

 日本は法治国家で良くも悪くも秩序を重んじる国であり、そんな国で「社会を変える」「世の中を変える」とは「法令と予算を変える」ことである。

 そして官僚は法令と予算のエキスパートであり、政策実現には彼(女)らの操縦が欠かせない。菅首相の官僚操縦法として「人事」はよく指摘される。

 本書でも人事の重要性が繰り返し強調され章のタイトルに人事を想起させる「大臣の絶大なる権限と政治主導」があるほどで、しかもこの章は全215頁中153頁を占める。

 そして人事における「大臣の絶大なる権限」については下記のとおりである。

 

 人事権は大臣に与えられた大きな権限です。どういう人物をどういう役職に就けるか。人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。(133頁)

 

 おそらく菅首相にとって人事と政策は一体なのだろう。人事あっての政策であり政策あっての人事なのである。これには異論も多いだろう。ただ課題達成の執念は強く感じる。

 

剛腕の理由は「分の意識」?

 

 我ながら「神経質」と思いつつも本書ではこの記述が気になった。

「振り込め詐欺」対策を語る箇所で法務省と警察庁の縦割りを指摘するのだが「国民の安全を守る治安にまで『縦割り』の弊害があるとは思ってもいませんでした。(169頁)」という部分である。

 わずか一文とはいえ政治家が「思ってもいませんでした。」と自らの知識不足を告白するのは珍しい。政治家とは「政策通」と呼ばれたくて知識を過剰なほど披露するものである。

 しかし、どうも政治家・菅義偉は知識不足を告白することに抵抗がないようなのである。過去に雑誌のインタビューで「正直言うと、国家観というものがなかった」と述べたほどである。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/645643/

 

 いみじくも保守政党に所属し今ではその長にもなった人物に「国家観というものがなかった」のである。「それで保守政党の長が務まるのか」と批判するのは簡単だろう。

 しかし、重要なのは「国家観がない」ことを自覚し「国家観がある」政治家・安倍晋三に接近、協力関係になったことである。

 菅首相は自分で無理に不足を埋めようとしたのではなく他人に不足を埋めてもらったのである。菅首相が官僚の知識を高く評価するのも自分の知識不足を自覚してのことだろう。

 おそらく菅首相は個人の「能力」より「役割」を重視する「分(=領分)を弁える」政治家、より正確に言えば「分の意識」が強い政治家ではないか。官僚操縦の強調は政治家という「分の意識」の現れだし「分の意識」が強いから前のめりにならず極端な失敗もしない。「分の意識」が強いから「縦割り行政」にも関心が向くのだろう。

 菅首相の剛腕の理由は諸説があるが「分の意識」が強いことも挙げられるのではないか。

 地味な印象は避けられないタイプが「分の意識」の強さゆえ「軽薄さ」や「弱さ」は感じないし社会不安が高まっている中、派手よりは好印象に映るから問題ないようである。