阪神・淡路大震災から20年。



当時小学生で、大阪市内の実家で姉、母と川の字で寝ていました。(父は別室)



まだ静まり返ってる冬の寒い朝、目覚めるとガタガタすごい音とともに家が大きく揺れている。
恐怖で姉と泣き叫んでる中、母が上から覆いかぶさるように姉妹を抱え込み守ってくれていました。



揺れがおさまり、すぐにニュースをつけるとそこには見たこともない景色が。
日本地図がでかでかと映り、私たちの住む関西地方に震度の数字が重なり合うように表示されていました。




小学生ながらに、何かとてつもなく大変なことが起きているということは理解できていました。ただただ不安でいっぱいでした。



そうこうしてる中、震源地が兵庫県であることがわかり、両親が兵庫に住む祖母と叔母に連絡を取るも繋がらず。





大阪市内は、特に大きな被害がなかったので小学生に登校するも、朝礼後すぐに集団下校。


家に帰ると、母から姉妹に向けた置き手紙があり、『おばあちゃんたちの様子を見に行ってきます。いい子にしててね。』みたいな内容で。



余震も続く中、初めて感じる恐怖と
母がいなくなった淋しさと
なにか嫌な予感がする気持ちで
不安で大泣きしたのを今でも覚えています。



その後も、祖母・叔母の家が全壊になり、我が家に祖母が住み、生活に変化もたくさんあらわれ
《地震》は、その瞬間恐ろしいだけでなく、その後の不安や苦しみ悲しみをももたらす恐怖があるんだと幼いながらに学びました。





わたしは、阪神淡路の時も東日本の時も揺れを体感したものの、直接的に大きな被害に遭ったわけではありません。
なので、もっともっと多くの悲しみ、苦しみを背負った方々のことを想うと何もできないいたたまれなさでいっぱいになります。



いつ何が起きてもおかしくない世の中。

過去の経験から学び、生かし、わたしたちにできることを精一杯していくしかないですね。






東日本大震災からも、まだまだ復旧ができていない場所や、まだまだ癒えない心の傷もたくさんあると思います。




災害によってお亡くなりになられた多くの尊い命にご冥福をお祈りいたします。