今日は教授(元会社先輩)の呼び出しで高松にある某国立大学に
行ってきた(っていっても某を書く必要はないだろっ)しっかし
人数の割りに広い大学で、ネコの額しかなかった早稲田のキャンパス
とは大違いだし、学食の飯を食べたけど、これまたどっかのファミレス
よりは随倍旨い飯だった。 

そして何より、もう行くのも寒かったし、行ってからも寒かったし
内容は暴風雨だったし。帰り道も寒かったし。
今オフィスにかえりついて、やっとこさ暖房の有効性をかみしめる
部屋で、ありがたくこれを記載している次第。

いい話は、まったくない。


寂しすぎる。もう、何もかも木枯らしの如く舞い散ってしまいそう
な気配。しかし教授の言葉で

Chaplinの台詞で「他人の不幸はズームアップして見ると不幸だけど
ズームアウトしてみると喜劇に見える」っていうフレーズ
今の自分にあまりにFitしているんだって。

そうだろうな。今の苦悶を笑い話になる
ような次の時代になんとかしたいって、ところだぜ。
悲しいなあ。


「へこみオーラ全開」には 参った。それではいけないのだけど。


ふと思うことだが、若かった頃って言うか子供だった頃、今よりも
もっと大人が子供に絡んできていた。っていうか、干渉してきていた。
よく知らないヒトでも文句いってきたり、野次られたり

最近は、子供が何をしでかすかわからないから、何も言はない
って環境らしい。さらには、悪事にも無関心らしい。

素直な子は、それでかまわないのだろうってすり抜けていく
で後になって、大事なところになって、大きな壁に当たるって
パターンだ。それが思わぬ心的外傷や他者への攻撃で現れる
のだという。

しかられる、ののしられる、殴られるっていうことは今の
子供には無縁の世界らしい。でも、この社会は闘争社会なので
どっかで軋轢や摩擦は生じるのであり、そのときどういう
対応をするのか、できるのか、。。

そしてそれをコントロールできる大人は大丈夫なのか
社会があまりにも拙速すぎる変化についていけなく、対応すること
すらできなくなりつつある。そういった社会の変化の中で
どんどん大人は子供に無関心になっていっているように思う。



不良学校を、押さえきれなくなっている
大人も情けないし、甲子園に出場する選手をあたかも美化する
風潮はあきれ果てて言葉もない、
節度あって、賢明な方はこういったことからかかわるのを
やめて無関心になっていくのだろう、、、
ひいては甲子園や高校野球に社会が無関心になっていく
そういったスパイラルをみせていくのだろう。。。
もう随分と前になったが、私が現役高校生の頃、高知商業が
甲子園で優勝したっていう場面があった。
今日、部屋の掃除をしていたらそのときの決勝戦の試合のビ
デオが出てきて、見入ってしまった。

延長戦の末に帝京にサヨナラ勝ちを収めた試合。
後に阪神タイガースに進み85年日本一になったときの
エース中西がいて、優勝候補と目されながら結構苦戦して
勝ち得た栄誉だった。

そしてその試合の応援席が映るのだが。そのときの商業の
女生徒の髪型・ファッション・制服の着こなしやスカート丈が実に時代を
象徴していて懐かしい。
なくなった商業野球部の象徴だった野球部長も健在で映っている。
そういう野球以外のシーンを見ても、もう随分と時間が
経ったんだなあって思う。

優勝が決まった瞬間のスタンドは歓喜というより嗚咽に
近いものがある。悲劇的な負け方をPLに食らって優勝
を逃した後でつかんだ栄誉だっただけに、歓喜よりも
そこへ到達するまでの悲壮感が滲んでいる。

随分と今とはちがうなって思ったりする。

どちらが真剣な生き方なのか、どちらが正解なのかわからないが
単に「勝ってよかった」っていうシーンではなく、トラウマの
ような敗北を克服しようと、野球部と一緒に戦ったっていう
とてつもない一体感がそのようなモードにさせたのだろう。
今はここまでの一体感、価値観の共有なんて無理だろう。
ヒトそれぞれに物語があり、それを生きるというのが今の
スタンダードだから。

社会環境が、歴史が変わっているっていう何よりの証拠だろう。


しかし、

この頃現役高校生だったってことは、本当に自分自身も歳月
を重ねたなって思う。