'17.01.20(Fri)~22(Sun)
少女都市旗揚げ公演『
聖女』東京公演


④の続きです。
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(※以下、上演台本に従って表記しています)
第二幕
8 『新聖女』
(松島・2005)「瑛子」と「夏美」が教室で談笑していました。その手には、「ユリ」を売って手に入れた20枚の1万円札が入った封筒があります。万引きした後にプラプラしていた「ユリ」は警察に補導され、それが引き金となって転校することになったようです。そんな話をしている時、呼び出しを受けていた「ユリ」が戻ってきます。「ユリ」は明るい顔で、「今日が来るのが最後で…」と「瑛子」に話したのを遮るように、「夏美」が「へぇ〜!」と言います。その声で思い出したように、「瑛子」は「お別れ会をかねて」とマックのハンバーガーを「夏美」には手渡し、「ユリ」には足元に向けて投げ渡しました。「瑛子」と「夏美」は自分たちのそれには目もくれず、もちろん食べることもなく、「ユリ」がハンバーガーを食べる様子を見つめていました。「あ、気づいた?うめぇべ?セミ入りハンバーガー」と「瑛子」は笑いを堪えながら言います。しかし、この言葉を受け驚きの表情を浮かべた「ユリ」を見ると、「夏美」と一緒になって大笑いしました。「ユリ」はその間、必死になってセミ入りハンバーガーを飲み込み、「うめなぁ、瑛子ちゃん」と微笑みます。
→「瑛子」と「夏美」は二人で「ユリ」を売って金を手に入れ、自分たちはその事について咎められることはない、という悪行をやってのけています。しかし、呼び出しから「ユリ」が戻ってきた際、「瑛子」が少しバツが悪そうに封筒をスカートのポケットにしまった様子を見て、多少の罪悪感を抱えているように感じました。一方で「夏美」はそうではなく、まっすぐな気持ちで「ユリ」を虐め、奴隷のようにこき使っています。台本の文字だけ見ると二人ともが同じ気持ちで「ユリ」に接しているように思えますが、実際に舞台上で演じられる「瑛子」と「夏美」を見ると、心の奥底では気持ちに差異があるのではないかと感じられました。
「夏美」は「ユリ」の真新しい靴に気づきます。「ええやない、ちょうだい」と言う「夏美」に、「ユリ」は反論するものの、続けて「瑛子」が「欲しいって言ってんだから早く脱ぎんさい!」と言うと、渋々脱ぎます。その直後、「夏美」の命令通りにトイレにスリッパを借りに教室を出ます。「ユリ」が去った後、「夏美」は「うちこうなってから何回もあの子(=「ユリ」)に同情しようと思うんやけど、結局できへんねん。そうなって当たり前っていうか。」とこぼします。すると「瑛子」は「そもそも人としての尊厳ば無いんだべ」とバッサリ言います。
→「夏美」は「ユリ」を虐めるにあたって、何度も考えていたものの、結局は虐めるに値する人という判断を下した理由をここで話します。しかし、この時の「瑛子」はやっぱり曇った表情に見えました。
「瑛子」は「夏美」に「あれは?」と教室から見える建物や風景の名前当てクイズを出します。関西から引っ越してきたとはいえ、あまりに簡単な問題に「夏美」はバカにしないでというような表情で答えます。突然、「瑛子」は「なんにもない。なんにもない町だっちゃなあ」と呟きます。それを聞き、「夏美」は目を丸くします。「瑛子」は「東京さ行ったら、もうここになんか住まないですむ。二度と帰らねぇ」と続けます。その後、お互いの家族の話をしているところに、「ユリ」が戻ってきます。
→「瑛子」が何故長年住んだ地を「何もない町」と称したのか、ずっと考えていました。おそらく、今まで良い思い出がなく、そしてこれからも良い思い出ができないと感じているから出た言葉なのではないかと思いました。「楽しい」「嬉しい」と思っても、どこか引っかかることがあって、心の底からそうは思えなかったのかも知れません。その原因として、弟である「リヒト」と幼なじみで虐めの対象の「ユリ」が考えられます。可愛がっていた弟と離ればなれになり、心にぽっかり穴が空いたこと。虐めることでしか退屈な日々を埋めることができないこと。埋まらない穴を別のことで埋めようとしても結局は無駄だと悟ってしまったのかも知れません。
トイレのサンダルを履いて戻って来た「ユリ」に、スカートを捲り上げるよう「瑛子」は命令し、その姿を「夏美」がチェキで撮影します。「ユリ」を売らせたことを名残惜しそうに話す「瑛子」ですが、「ユリ」は俯いたままでした。「もっと笑いなよ。これがこれからのうちらの生活の糧さなるんだから」という言葉を受けても、まだその表情は変わりません。「本当に(東京に)行ぐの?」という「ユリ」の問いかけに、「瑛子」が「うん」と答えると、やっと「ユリ」の顔に笑みが浮かび、明るい声で「気をつけてね」と言います。その言葉と表情に激怒した「瑛子」でしたが、「夏美」の一言で我に戻り、食べかけのハンバーガーを床に投げ「ほれ、やっがら」と食べるよう言います。「ユリ」は床に散らばったハンバーガーを四つん這いになり貪ります。「どんな気持ち?」と「瑛子」が尋ねると、「ユリ」は昔、「瑛子」と二人で座って一緒にご飯を食べた思い出を語り始めます。この状況でまだそんなことを言う「ユリ」に腸煮えくり返った「瑛子」は、「ユリ」を蹴飛ばします。
→「ユリ」がどこまで「瑛子」のことを思っているのかが分かります。自分が補導されたことで、「瑛子」の東京行きが頓挫していないか不安だった「ユリ」でしたが、その計画が決行されると知り、喜んでいます。決してバカにしたり、恩を着せたりしたいからではなく、単純に「瑛子」の幸せを思っての言動だったのだと思います。その気持ちを幾許か理解した分を差し引いても、やはり怒りの方が勝ったからこその蹴りだったのだと思います。
三人は補導された時の状況、転校が決まった時のことを話します。すると突然「ユリ」が「あたし嘘ば言ってねーよ。「瑛子」ちゃんに嘘ば言ったらだめって言われてたもんね」と言います。堪忍袋の緒が切れた「瑛子」は、「どうせ今日が最後だし、はっきり言って」と、今までの虐めのことを「ユリ」がどう思っていたのか聞き出そうと問いただします。しかし、「ユリ」から返ってきたのは、「あたし「瑛子」ちゃんが好き」という拍子抜けする答えでした。「この…嘘つき!」、そう言って「瑛子」は「ユリ」に馬乗りになります。「夏美」の静止を「黙っといて、うちら二人の問題だから」と振り払います。「うちら二人」という言葉が癪に障った「夏美」はヘッドホンをつけ、教室の隅に移動し、大音量で聞きながら大声で歌い始めました。
→「ユリ」の発言を受け、「ユリ」が「瑛子」のことしか見ていなかったことは理解していたものの、その場にいた自分のことを「ユリ」だけではなく「瑛子」までも疎外したことに腹を立て、「夏美」は不貞腐れます。「虐め」という決して褒められたことではないですが、共同作業で行ってきた友情の証を蔑ろにされた「夏美」の心はズタボロだったと思います。それでも尚、自分の存在感を出すために、隅に行く際には大きな足音を立て、歌は大声で歌ったのだと思うと、とても悲しい場面に感じられました。
馬乗りにされた状態で「ユリ」は「「瑛子」ちゃんの言うことば正しいと思う、んだがらそれに従っただけ」と言ってのけます。数々の虐めを「喜んでやったこと」と言う「ユリ」に「瑛子」は「き〇がい!」と叫びます。「ユリ」に「あたしの神様」と言われた「瑛子」は、「うちの冗談を冗談じゃなくすて、何もかもうちのせいにして、うちの大切なにかば奪っていく!」と言い終わると、「ユリ」の首に手をかけます。すると、「ユリ」の顔がスッと変わり、「あたしば殺すの?」と「瑛子」に問いかけます。「自分が生きていたら「瑛子」はひどいことをする。そういう関係になってしまった。それに苦しんでいる「瑛子」はかわいそう。自分が生きているあいだ、「瑛子」は幸せになれない」、そう言う「ユリ」に対し、「瑛子」は一度は同意の表情をするが、すぐに「ちがう、ちがうよ」と否定します。
→「ユリ」は盲目的に「瑛子」に心酔するのではなく、全てを理解した上で敢えて虐められ続けていたと告白するシーンにドキッとしました。「ユリ」と「瑛子」は共依存関係だったのだと思います。以前から「ユリ」は気づいていたものの、「瑛子」はこの時初めて知ったのではないでしょうか。お互いになくてはならない存在、例えそれが傍から見たら虐めだとしても、生きている意味を与える大切な存在であると知ってしまった。それを知ってしまったことで、「瑛子」は自分の人生が「ユリ」に支配されていると思ってしまったのかも知れません。「ユリ」が中心にいる人生を認めたくなかったのかも知れません。だからこそ、一度は同意したものの、すぐさま撤回したのだと思いました。
「瑛子」は首にかけていた手を離しますが、「ユリ」がその腕を掴み、再び自分の喉元に持っていきます。「瑛子」は抵抗しますが、「ユリ」の力は強く、どんどんと「ユリ」の首を絞めていきます。「あたしを殺さないと幸せになれない」と言う「ユリ」に、「瑛子」は「ちがう…!」と反論します。続けて「ユリ」は「人間にはひとりひとり役割があり、その通りに生きようとしてる。みんな「良い人」。あたしも」と力を込めて言います。それを聞いて「瑛子」は「それを初めて言った…!あんたの本音を聞きたかった」と言います。そう言う「瑛子」に対し、「ユリ」は「自分の「した」こと以外に本音はない。どんなに無意味に見えても。どんなに阿呆に見えても。」と言います。「瑛子」は「あたしはその阿呆さから逃げたかった…」と言い
崩れます。その体を「ユリ」は受け止め、強く抱きしめます。
→「ユリ」の本音と「瑛子」の本音が入り混じった場面でした。暴力的でもあるものの、そこにはある種の愛が存在していて、人は完全には一人にはなれない、誰かがいるから自分は自分として存在できるということのメッセージ性が強く感じられました。だからこそ、「瑛子」は「ユリ」へと崩れ、「ユリ」は「瑛子」を強く抱きしめたのだと思います。「ユリ」の本音を聞くことで、「瑛子」自身も本音を言い、改めて自分が「ユリ」に依存していたことに気付かされたのだと思います。
「瑛子」を強く抱きしめながら、「ユリ」は「「瑛子」ちゃんのためにできるかぎりのことをした。でもそれは間違ってたのかもしれない。自分が男だったら、抱きしめるだけで解決してたと思う。」と言います。それを聞いた「瑛子」は「何なの?あんたは一体何なの?」と言いながら再び「ユリ」の喉に手をかけると、強く首を絞めました。
→美しくも悲しい愛の最後だと感じました。薄情だと思いながらも、「ユリ」の言うように、もし「ユリ」が男だったとしても、きっとこの二人は良い関係にはならなかったのだと思います。「ユリ」が女だったからこそ虐めの対象となり、依存の対象となったのだと思います。「ユリ」の、全身に力が入り、顔を真っ赤にして、はたりと事切れる演技は心を掴まれました。
教室の片隅で歌を聴いていた「夏美」が振り返ると、「ユリ」がぐったりと倒れ、動かなくなっていました。「夏美」は「瑛子」の元に駆け寄り、突き飛ばします。「瑛子」は上の空で「もう出かけなきゃ」と言いますが、「夏美」は「あんたは出かける気なんてない」と突っぱねます。「夏美」は「瑛子」が「ユリ」を虐めていた理由を「別の友達ができるのが嫌だった。いつまでもひとりぼっちで、じぶんのそばにいてほしかったから」と言います。「ちがう!」と反論する「瑛子」でしたが、「夏美」は頑なに認めませんでした。口論の末、二人はもみくちゃになります。「瑛子」が力を込めて「夏美」を突き飛ばしました。その先にあったイスに頭を打って、不幸にも「夏美」は動かなくなりました。名前を呼んでも反応のない「夏美」を前に、「瑛子」はただ泣き続けるしかありませんでした。
→「夏美」の聴いていた『青春アミーゴ』の歌詞がここで活きてきました。「俺達はいつでも 2人で1つだった」、つまり「瑛子」と「ユリ」は共依存関係で、そこに自分の入る余地はない、そのことを「夏美」は理解してしまったのです。普段から聴いていたこの歌詞の「2人」が「瑛子」と「夏美」ではないと分かってしまった。それをどうしても納得出来なかった「夏美」は、「ユリ」への嫉妬と恨みを「瑛子」に向けてしまったのだと思いました。かけがえのない友達だと思っていた「瑛子」が、自分のことを見ていなかった、ただ利用していただけだと思ってしまったからこその「夏美」の行動だったと思うと、とても悲しくなりました。
「ユリ」が立ち上がり、客席に向かって、「「瑛子」はどこか遠いところに連れて行かれた。今でも「瑛子」に会えない。」と語りだします。続けて、泣き続ける「瑛子」に向かって、「泣かなくていいんだよ…この世の辛いこと全部、あたしが背負ってあげるから…泣かないで…」と言います。再び「ユリ」は客席を向き、「静か…本当に静か…この静けさがいつまでも続くなら、ここを出て行く必要はないんだけど…」と言います。
→劇はまだ続きますが、あっけない終わりでした。最後の最後になって、「ユリ」の気持ちが「瑛子」に届かないというすれ違いを生むシーンで、良い意味で多くを語らないことの良さ、ハッピーエンドにしないことの面白さを感じました。
(第二幕・完)
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台本p.49〜64(第二幕の終わり)まで、書いてみました。
最後の「ユリ」の独白の場面で、「見物だったでしょ?もうなにも起こりません。この世の中でなにがつらいって、「見る」こと以上につらいことはないと思います」と言います。このセリフがどうも分かりませんでした。劇自体はまだ続くのに何故このようなことを言ったのか。モヤモヤしながら、感想を書くために台本を読み進めるうちに、その理由だと思う箇所を見つけました。それはこの第二幕のタイトル『新聖女』です。第三幕で改めて出てくるのですが、この『新聖女』は「ユリ」が書いた本のタイトルです。つまり、この第二幕は全て、「ユリ」の書いた本の内容なのではないか。舞台は2005年の松島、登場人物は「ユリ」「瑛子」「夏美」の3人のみ。本はここで終わった、だからこそ、「もうなにも起こりません」ということを言ったのではないかと思いました。「「見る」こと以上につらいことはないと思います」というのも、「ユリ」自身が感じたことを「見た=読んだ」読者に訴えるかたちで書いた、「あとがき」のようなものではないかと思いました。そう考えると、この一連のセリフがすっと頭に入ってきました。
《余談》
ここにきて、改めて上演台本を購入して良かったと思いました。台本を読むからこそ得られた情報があり、舞台に対してより深く考えることが出来たと思います。実際に舞台を観なければ分からないこと・感じられないことがあるように、活字でなければ分からないこと・感じられないこともあると痛感しました。