【再録】パーヴォさんとNHK交響楽団の、マーラー交響曲第8番「一千人の交響曲」感想をアップします | 恋に効く、クラシック。

    2016年09月09日

    私はクラシックも好きだが、論評できるほどの知識も鑑賞回数もない。しかし、今回の9月8日(木)にNHKホールにて演奏された、N響創立90周年記念演奏会・マーラー作曲交響曲第8番「一千人の交響曲」は、クラシックのひとつのエポックメーキングな出来事として記憶されるであろう。まず、2015年9月から首席指揮者に就任した、パーヴォ・ヤルヴィの指揮によるマーラーの意欲的な演奏であること、そして、その中でも最高傑作と言われ、そして演奏が大変難しい「一千人~」にN響がチャレンジしたということ、また、そしてチケットが完売という大変なムーブメントを引き起こしたことに、日本のクラシック界の現代の大きな成熟を見る思いだ。

    まず、圧倒的なその大編成に瞠目する。指揮・パーヴォ・ヤルヴィを筆頭に、8人のソリストたちと、新国立劇場・栗友会の合唱団、NHK東京児童合唱団、そしてピアノ・オルガン・パイプオルガンまで勢ぞろいしたNHK交響楽団でゆうに600人は超えるかというメンバーに、この楽曲のもつ威容を感じ取ることができる。
    そして、まさにこの楽曲の最初のクライマックスともいうべき第1部の「来たれ、創造主である聖霊よ」の大合唱とファンファーレに熱いものがこみ上げ、落涙する。まさに「いつくしみの大聖年」にふさわしい名唱である。第1部はラテン語で歌われ、創造主への畏敬の念と、賛美、そして平和への祈りが高らかに歌われる。繰り返し第1旋律が歌われ、第1部の最後の“Gloria Patri Domino (父なる主に栄光あれ)“に象徴されるような、マーラーの当時の境地をうかがえる、この交響曲の大きなテーマが鳴り響き、まさに「神の奇跡が降臨した」というにふさわしいドラマティックな展開となる。

    また第2部の「ファウスト」の終幕の場は、ドイツ語で歌われ、弦楽器のピチカートでひめやかにさらに深遠なテーマが語られていく。少年たち(実際には少女たちだが)の合唱と、天使たち、そして、マリア崇拝の博士(テノールのミヒャエル・シャーデの高音が素晴らしい)、法悦の教父、瞑想の教父、さまざまな立場にある女たち(ソプラノのエリン・ウォールが絶唱)の、永遠の愛、永遠の命、そして、聖母マリアへの思いが交錯する。
    最後にすべての合唱と演奏による大団円で、“永遠に女性的なるものが私たちを引き上げる”と歌われ、歓喜のうちに終わり、大きな感動が怒濤のごとく押し寄せるのである。

    指揮のヤルヴィは、この巨大なテーマをもつマーラーの交響曲に果敢に挑み、的確かつドラマティックな指揮を試み、成功した。また、その指揮にNHK交響楽団もよく応え、90周年にふさわしい成果を見せた。マーラーの思念的変遷と愛の完成を導き出した第8番の演奏は、日本においても、新たなマーラーへの評価の高まりを再認識させるにふさわしい名演奏となった。ふかい感銘のうちに帰途についた秋の夜であった。(了)

     
     
     
    ※こちらは、私が初めて、パーヴォさんの指揮に触れたときの感激を表した、初めての音楽評論です。ライブドアさんで「桂木嶺の GO TO THE THEATER!!」というブログを立ち上げ、お世話になっていました。そのときに、掲載したものです。
     
    つたない評論ではありますが、必死に、パーヴォさんの意図する、マーラーの巨大な世界観と格闘しつつ、最大級の興奮と感動を、どう伝えようか、必死に推敲して書いた記憶があります。
     
    こちらの評論がきっかけとなって、パーヴォさんからTwitterをフォロ―していただくことができ、大変感激したのを改めて懐かしく思い出しました。
     
    やはり人生の岐路で迷ったときは、この必死で書いた批評と、「初心忘るべからず」の気持ちで臨むことが大切だと思っています。
     
    私にとって、なによりも大切な思い出・・それがこのパーヴォさんの「一千人の交響曲」ですね!