先日、僕をこの音楽業界にスカウトし育ててくれたプロデューサーが他界されました。
このブログ書くか、書かないか?
迷いましたが、
書くことにします。自分の決意表明として。
16歳の時、
音楽業界など何も解らない田舎者の僕は、
地元のある音楽コンテストに出演しました。
母が公民館で、応募用紙をたまたま見つけ、
教えてくれたのです。
そして、当時書き溜めていた、自作のピアノ曲の中から
自信のある曲を自分は、送ったのでした。
その時は、
賞金で新しいマウンテンバイクを
買おうという単純な動機でした、、。
そして、運よく予選、東海北陸地区本選 通過し、
自分は予想もしてもいなかった
なんと全国大会へ。。。
最終的に、そのコンテストで、自分は特別賞を頂くことができました。
でもグランプリの何組かには入ることはありませんでした。
その時は正直悔しく落ち込んでいた思い出があります。
そんな自分に終了後、1人の男性が、話しかけてきました。
「君は面白いピアノを弾くね〜
将来は、何になりたいの?」
その当時、何も怖いものがなかった自分は、
「坂本龍一さんみたいになりたい。ピアノが弾けて映画音楽作りたい。だから僕は音大に行きます」
すぐさま答えたのでした。笑笑
そんなことを僕が言い放った男性は、なんと、
YMOや坂本龍一さんや矢野顕子さんのアルバムをプロデュースされていた方だったのです。
そして、その方は、笑いながら
「音大受験のレッスンで東京に通っていると聞いたんだけど、ちょっとポップスピアノのレッスン受けてみない?」
と言って、
僕に矢野誠さんというプロデューサーを紹介してくださいました。
矢野誠さんってあの矢野顕子さんのアルバムのプロデューサーだ〜。。。汗
自分は、
本当に毎レッスン、緊張しながらも、、
普段のクラシックピアノのレッスンでは知りえない世界を
教えてもらうことができました。
村松ピアノでダンスしてみろ!とかね。。笑
そして、僕は、窓、東京というアルバムを生むことになりました。
あなたは、
狗神がベルリン映画祭に出品が決まった時、
映画祭で、自分をアピールして来なさい!
と
行かせて勉強させてくれましたね。
村松は
とにかく曲を作りなさい、自分を信じて。必ずみんなに届く日が来る!
とよく飲みながら
ろくに仕事もない自分に、
励ましてくれながら
一緒に下北沢で飲んでくれましたね。
今の自分があるのは、あなたのおかげです。
本当に本当に、ありがとうございました。
僕は音楽を書き続けます。そして、
みんなを音楽で救えるような作家になりたい
という使命感を持って
生きていきたいと思います。
だから天国から見ててくださいね!