どんなにポンコツな生き方をしていても
いい仲間がいれば
なんとかなります。
こんにちは😃
いつも美濃焼タイルとともに
タイルオンライン の高藤洋平です
▼このあと
転がって泣きます。
お座りもまだ
安定しませんね。
この子を育てるのに
自分の振り返りを
している最中です
もっというなら
わたしと会社の
これから先の
ことを考えるために
さらには
これから栄商会に
入ってくる人に
こんな人だとわかって
貰えた方がいいかなと
思って書いてます。
テーマ
小学生から大学生までの
ちょっとダメな生き方
この続きです。
▼おじいちゃんの盆栽と
母、三兄弟
昭和小学校の
高学年くらいから
急激に目が悪くなりました。
目が悪くなる
という表現もよくない
ですけども
目が悪くなって
申し訳ないような
気持ちでいました。
割と内向的な性格に
拍車がかかります。
あの罪悪感は
何だったのか。
友達も多い方ではなく、
本読んでましたね。
三国志の漫画と小説とか。
コーエーのゲームも
よくやりました、、、
このころに
かなりオタク気質を
身につけたとおもいます。
若干いじめられっこ
体質だったと思います。
それなりに小金持ちで
メガネ、内気でしたからね。
ここはうまく立ち回れなかった
自分が悪いかも。
父親は魚釣りとかに
たまに連れていって
くれましたが
全く興味がわかなかった、、
性格が合わなかった
のだろうなぁ
申し訳ないことをした。
運動は普通で
剣道を2年ほど
やっていたくらい。
→中学校に
平和中学校に入ると
バレー部に所属します。
人数が少なかったのもあって
セッター、レギュラーに。
このバレー部の友達が
今でも仲が良いのは
救いでした。
この頃は割と快活な
性格になっていった
と思います。
ちょっと変なオタク
ポイやつですね。
仲間がいるということは
良いことだったと
改めて当時思います。
運動や勉強にも
弾みがついておりました。
勉強は2年生くらいに
やる気になって
新学校の
多治見北高校に。
祖父がなくなったのは
このころでした。
今考えればもっと話を
しておきたかったですが
そんなことは当時
思うはずもなく。
→高校生活
特に書くことないくらい
暗い 高校生活でしたねー
勉強のランクが
一気に上がり
全然追いつけなくなって
やる気も無くなって
行きました。
不登校にならなかった
自分を褒めたい。
父親は基本的に
常に酔っ払っていた
印象です。
中学くらいまでに
たしょうなりとも
相談を受けれるような
人間関係を築けると
良かったなぁ
と思います。
早めに勉強の
重要性に気づいて
勉強していれば
もう少しましな
高校生活だったのか、、
とにかくニート
まっしぐらな
下地は作られつつ
ありました。
小中高の流れを見て
何かきっちり
運動をやった方が
いいなとは思う。
体が鍛えられるのと
仲間が増えることは
心の支えなったろう。
基本的に
ある程度ハッピーに
幸せに生きていくには
心豊かに生きていく仕組みが
必要だろうと思う。
勉強は生きる力を
身に着けるために
必要ではあるけれど
仲間がいないと
豊かにはなれない。
高校時代は普通に
虚無にとらわれて
死について
考えたりしていました。
まったくしょうもないですが
くらい閉じた世界に入り込むと
なかなか大変なんですよね。
まあ
かなりやばい
ところで
一浪して滋賀大学へ
→大学生活
大学寮に
父親の勧めで入所。
これはさすが父親
よくわたしを見てたなぁ
寮では50名くらいの
寮生との付き合いが
強制的に始まり
遊んでばかりでしたが
人間的な生活に
戻ります。
ここで
かなりのダメ人間のような
麻雀生活をしていました。
が
友人が増えました。
中学校と大学で
友達ができたことは
ありがたいことでした。
父親は意外と私をみていて
心配はしておったのだろうと
今では感謝しています。
社会不適合な
人間になりつつありましたが
麻雀とバイトと読書で
毎日を過ごしてました。
これほどダメダメな
感じできていても
人間、多少の修羅場をくぐれば
まっとうな人間になっていきます。
次回テーマは
まっとうな人間を目指して
タイルの良さと楽しさを
全国にお届けします。
よーへー
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