無題 | たかとんの泉@reloaded

無題

物事を思い出すのは、そのものに触れているときばかりではないが、今回は特に鋭い感覚で自分の脳裏を突き抜けた。
私はショックのあまり駅の近くの雑踏で「あ!」と大声で叫んでしまった。
周囲が少しざわつくというより、シーンとなった。

彼からの手紙には、最後に日付が書いてある。そのような事は手紙では良くある慣例な事なので、気にしないことなのだが、普通は名前の後に日付とか、あだ名とか、書いてあるものではあるが、彼の場合は宛名がないので、何も書いてないのかと思って気にしていなかった。
私は点字ではなく、文章を独特の方法で加工してもらって読むようにしている。
元々目が見えていたし、明暗はわかるので、少しでもそれ以前と同じように文章や空気感を感じたいので。

書かれた手紙の消印は普通だった。数日前に出したという感じだったが、
問題は、文章の最後に日付が書いてあったことだ。

10年9月2日。

西暦かと思ったが、今の時と合わない。

従ってこれは平成10年の事ではないかと思ったが、平成という元号を使う事は、一般的には公文書に記載する時以外はあまり書かない。私の周囲も含めて西暦で大概は話す。
だから、2010年のことだろうか?

この場でははっきり分からないので、急いで家に戻って確認してみようと思った。
いずれにしても、はっきりしているのは、彼からの手紙が過去からの手紙と思える日付が明記してある事。

自分の体調の悪化時期からどうも色々な現象がいちいち不可解で、特に自分の物理的視野がせまくなってから、まるでそれまでと違った景色が世の中に再構成されたかのように、一夜にして変貌してしまったかのようである。

見えていないのを良い事に、勝手に色々な物を素早く変えている「誰か」がいるかのような奇妙な感覚である。
だから、今回もその感覚の問題なのか、自分の見間違いなのか、なんなのかすぐに知りたくなった。

この時期でも晴れていると暑い。日本は四季がなくなってしまったともう何十年も言われている気がする。
春と秋が短く感じると。
梅雨時ではあっても30度を超えてくるので、私は汗だくになって部屋に戻った。

恐る恐る手紙を開いた。
でも、もしかしたら加工ミスかパートナーのミスか、自分の勘違いかも知れない。
その考えもしっくりこないが、すぐに最後の一文に手を差し伸べた。

20年9月2日。

確かにそう書いてある。
間違いではなかった。

しかし、その前に音読された時には、パートナーは何も言わなかった。
一言一句を気にするので、何故言わなかったのか、理解出来ないが、何もなかったかのように日付については触れられなかった。

その時電話が鳴った。
私は反射的に電話を取った。

「もしもし、井筒様のお電話で合ってますでしょうか?」
「はい・・そうですが・・」
「こちらは井筒様の知り合いの方からのご依頼でお電話しています。大学の研究医です。井筒様の大学の医学研究で、適合出来るかどうか、かなりの精度での生態実験があり、被験者にどうかと推薦されたので・・。」
「と言いますと・・どういう事でしょうか?」
「私どもが扱っている最先端技術で、人工角膜を最先端でやっていまして、ちょうど各年代、状況、等に合致する人を探していました。他に被験者はいるのですが、なるべく多くのサンプルが欲しいのと、ほぼ100%適合出来る自信があるので、是非手術を受けて頂けたらと思って。

今はそれどころではないが、話は前に少し聞いた事はある。優先的に人工角膜の手術を受ける事が出来ると多くの関係者や知り合いから言われてはいたので。

「少し考えさせてください、また折り返しお電話致します。すみませんが、お名前の方頂けますか?」

「あ、失礼しました。三島と申します。」

折り返しの電話番号等の連絡先交換をして、一旦話しと検査をしてからという運びになると説明されて、電話を切った。

私の症状から言っても、そもそも難易度が高い訳ではないので、手術が成功する事は特段驚きはない。
どちらかと言えば、私の見えていない時間で何が変わったのかハッキリ見てみたいという奇妙な感覚があった。

本当に自分の見えていない間に、誰かこの世界のゲームプレイヤーがいて、勝手に周囲の情景を変えていても、視力が戻ればそれらの意味も分かるかも知れない。

問題の手紙だが、なんで今回に限って、彼はこの奇妙な日付をいれたのだろうか?
まるで理解できない。

ただ、こっちから調べようもないし、実際に彼が何処にいるのか分かるくらいならば苦労しない。

でも、返信を書く事は出来るので、追加で質問の手紙を書いて聞いてみようかと思った。
いつものように、私書箱に送る事になる。

虫の音がかすかに聞こえてきて、夕方になっていた。
少しずつ落ち着いて来たのでしばらくソファーで何やらぼーっとしていたらら、いつの間にか眠っていた。