第四十五回映画と音楽のレビュー~メッセージ~ | novel2017のブログ

今年観た映画の中で一番自分の好みに合った映画だと言える。好きなジャンルはたくさんあるが、好きな雰囲気は間違いなくこういう類。神秘的で抽象的で示唆的。わかりにくさは付きまとうが、解釈の余地が多いに残る。ストーリーやオチも大切だけどそれ以上にプロセスや作品の世界観の方を重視したい。音楽も大切。「メッセージ」はその最たる好例だ。

 

 

 

 

あらすじは公式サイトで読めばいいし、ネタバレや解説はググればいくらでも出てくる。私はその輪郭について語ることにする。

そもそもこの映画はある日突然12の地域に12隻の宇宙船らしき謎の物体が出現(arrival)することから始まる。主人公の言語学者がその地球外生命体と言葉のやり取りをしていくうちにどんどん明らかになる彼らの目的.....

 

 

おっと。ここでやめておこう。

 

この映画はとても文学的で詩的な表現が多い。だから難解だと感じる人も多いと思う。私もそう思う。

 

ただこの映画のなにが好きだったかというと、限りなく一般的な感覚で観られたこと。最初の登場から謎の物体に接近するシーン、コンタクトするシーンでは、主人公自身も軍に何ひとつ知らされることなく、とりあえず現地へ連れていかれる。だから私たち観客と主人公の心情は全く同じ。主人公の荒い息遣いに、こちらまでつい息を荒くしていしまう。こいつらが次に何をしてくるのか、どんな物質でできていて、どんな生き物でどんな姿かたち声をしているのかさえ分からない。だからめちゃめちゃ怖い。びっくりさせるシーンやグロテスクなシーンはないが、ヘタなホラーより怖い。どっちに転んでもありえそうな、伏線の無い展開が怖い。そうした怖さが、主人公とともに同時進行で味わえるところがグッドポイント。

 

映画のコンセプトのひとつは言語と時間。多くは言えないが、これが非常に大切になる。話の規模はでかくなればなるほどストーリーは主人公の内面にフォーカスされていく。この対比がまた良い。映画に登場する、言語学、文化人類学、社会学的な見地は私の興味の対象であり、非常に楽しめた。もし仮に全く別の生命体と接触した時、人類はまず何をすべきなのか。そこの紐解き方がなるほどと頷いてしまう。「お前たちは何の目的で地球に来た?」と質問するには彼らの言語を理解する以前に、質問という意味が分かるのか、目的が分かっているのか(本能による行動なら答えられないから)、あなた(個人)とあなたたち(種)の違いがわかるのか(あなたの目的は?と聞いたときに知りたいのはあなたたち種族全体のことであり個別な理由を知りたいわけではない。つまりその区別がついているのか)。など、おそらく未開の部族などに遭遇した時もこうやって一つずつ確かめながら意思疎通を図ってきたのだろう、おもわずへえと頷きたくなる。

 

そしてもうひとつ大切なキーワードが「サピア=ウォーフの仮説」。は?なにそれ?だと思う。私もわからない。でもどこかで読んだことがある。でも忘れた。からwikipediaに頼ろう。

 

サピア - ウォーフの仮説とは、どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだ」とする立場に疑問を呈し、言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与することを提唱する仮説。言語相対性仮説とも呼ばれる。エドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフの研究の基軸をなした。

 

は?意味わからん。って人。劇中の言葉を借りて言うなら、社会は言語によって異なるということ。これは、なにもサピア=ウォーフの仮説を引き合いに出さなくても今ではよく語られるようになった。例えば「脳」という日本語がある。そして英語には[brain」という言葉がある。それは、解剖学が存在する両社会だからその言葉が存在している。ではもし解剖学が存在しない社会だったら。いまだかつて「脳」を見たことない人たちは「脳」に値する言語を持ち合わせていない。「頭」とか「頭部」という言葉しかないはずだ。つまりその社会には「脳」および「brain」は存在しないのと同じ。ということは言語が違っても現実世界は正しく把握できる、とは言えないのだ。

なにもそんな極論だけではない。日本に跋扈するカタカナ用語はまさにその一例だと言える。日本に存在しない概念だったから該当する日本語がなかった。だから英語がそのままカタカナとなりその概念を用いる際に使われるようになった。コンプライアンスだとか。無理やり日本語にすることはできるが、日本語にするとどうしてもコンプライアンスという言葉には何かが欠けてしまう。逆にいえば「TSUNAMI」や「KAROSHI」も同じだと言える。

 

言語が異なれば同じ現実社会に属していても社会認識は異なる。というのはさすがに私でも知っている。が、ざっくりしかわからない笑

上記の通りで間違いないかな?偉そうに書いたけど。。。

 

 

そりゃそうだって話だ。だって言語が同じでも色弱の私とみなさんとは認識している世界は違うのだから。ほんと色の違い分からん。天気予報の降水量とか。お肉が焼けてるかどうかとか。黒板の赤チョークと茶チョークとか(今は赤チョークも蛍光色になったし茶チョークに関してはもうないらしい)。充血してるとか青ざめているとか。わかってない。私の世界には青ざめている人は存在してないんだ。悲しいね笑

 

脱線した。とまあそんな仮説を引き合いに(その仮説が正しいかどうかはおいといて)、彼らの言語習得に明け暮れる主人公たち。そして。。。。。

 

 

 

 

 

と、内容はここまでにして、ここからは個人的に気になった事をランキングにしてみた。ネタバレにはならないが本筋に関係のない小ネタがばれてしまうので見たくない人はここまでにしましょう(ここまでも十分内容に触れてきたが)。

 

 

3位 彼らが選んだ12か所の理由はシーナイーストン!!??

 

ほんの軽いジョークで「なぜパキスタンやロシアや中国、北海道にかられが着陸したのかは誰にもわからない。雷の少ないところを選んだ説もある。また、シーナイーストンが売れた地域だという人もいる」と語りが入る。シーナイーストン(Sheena Easton)とは、イギリス出身の歌手。「モダンガール」が有名。本国でどんな扱いなのかは知らない。

 

 

 

 

2位 彼らの名前がアボットとコステロってなんで?

 

二体の異星物体と接触するのだが、主人公たちは彼らをアボットとコステロと名付けた。きっと何かの元ネタがあるのだろうと調べたら、アメリカの漫才師らしい。ちなみにうちの父親も知っていた。日本でも人気を博した国民的なコンビだとか。日本でいうやすきよ的なポジションか?コンビと言えば、みたいな。その時脳裏によぎったのは「コンビと言えばホームズとワトソンじゃないのか」だったが、よく考えたら彼らはイギリス人だった。アメリカ人が言うはずない。なるほど

 

どっちがアボットでどっちがコステロですか?

 

 

 

 

1位 彼らの言語の正体は?

 

彼らは独特な言語を用いるのだが、なんか見たことがある。多くのレビューサイトでは「禅に通ずる」「書道や水墨画のようだ」と和を意識したデザインだと言っていたが、私は違って見えた。そう、sigur rosのアルバム「()」のジャケットだ!

 

 

 

 

それだけ。

 

 

 

 

 

最後に音楽。

 

多分音楽が一番語りたい。それくらい素晴らしい音楽だった。といっても音楽らしい音楽が鳴っているわけでも感動的な歌詞が歌われているわけでも荘厳でダイナミックなオーケストラの演奏があるわけでもない。神秘的でシンプルで不安感を煽る非常に作品にフィットした音楽だった。だけど単体で聴きたい!と思わせるほどにバシッと耳に飛び込んでくる。冒頭にかかる音楽がね、、、、もう。。。あの瞬間に再びかかった時、「あああああああ!!!そうか!!!!!!」と唸ってしまう、構成も完璧。偉そうに私が評価するなんておこがましいのでしないが、もう完全にハートを持っていかれた。

もちろん、サウンドトラックはapple musicにあるので聴いてほしい。

特に、エンディングでも流れる「kangaru」(タイトルの意味もまたこれが示唆的で劇中によいアクセントとして登場するので見逃さないでほしい)が、BjörkJuana Molinaを思い起こさせる環境音楽?のような耽美で独特な音楽で病みつきになる。ベストソング候補。

 『メッセージ』オリジナル・サウンドトラック

 

 

 

 

というわけでレビュー終了。不明な点はいくつかあるものの、基本的にはちゃんと種明かしあるしも整合性もとれているので不快な終わり方ではないよと付け加えておく。ただ観終わったら確実に討論したくなる。そして自分の人生を見つめ直したくなる。説教臭くないのに、宇宙の話なのに、なぜか最後は自分に帰ってくるこの不思議な余韻をぜひ味わってほしい。

 

 

明日原作買ってきます。

 

 


 

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