15歳から10年たった今、手紙 ~拝啓 十五の君へ~を考える | novel2017のブログ
この一週間はお休みいただいてました。
熊本で震災があって以来、どうしても言葉が前に出てこなかったからです。どうしていつになってもこれほど胸がいたくなるのかわからずただ悶々とした日々をやり過ごしていました。ということで暫く自粛しておこうと決めました。別に自粛することは自分だけがすることで他の人がブログ更新していることを咎めようだとかそんなつもりは全くありません。当たり前ですが。そして別に自粛する事でもないとは思いますが、書けないというのもありますし、誰にも迷惑をかけているわけでもないので(そもそもどれぐらいの人が見ているのかわかりません)休んでいました。






今回は、アンジェラ・アキさんの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」という曲について改めて考えてみようという企画。
私は今現在24歳。今年で25を迎える。曲がりなりにも立派に25年生きてきて、それなりの苦労や経験もしてきた。ここで多くは語らないが、私にだっていろいろある笑。この曲は、アンジェラ・アキが30歳の時に、NHKから合唱コンクールの課題曲の作曲を依頼され作ったもので、アンジェラさん自身の体験と感情がびっしりとつまった名曲。


アンジェラ:これは、去年のツアーが始まるぐらいに「アンジェラ、曲をNHKの合唱コンクール用に作って。中学生の部の課題曲になるから」って言われて、「そんなみんなが歌うような曲を作らせてもらっていいの?プレッシャーだな」と思って最初迷って。しかもテーマが「そして未来へ」で、正直「超書きづらいなぁ」と思ったんです(笑)。で、その話を聞いた次の週ぐらいに30才になったんですよ。そしたら母から一通の手紙が届いて「誕生日覚えてくれてる!お母さん、最高」と思って封を開いてみたら、お母さんからの手紙じゃなくて、私が10代のときに「30才の自分へ」って書いた、未来の自分に宛てた手紙で。その手紙を書いた記憶はもうないんだけど「きっと素敵なことが書いてあるんだろうなぁ」って思って、読んでみたら「30才の自分へ、元気ですか?ちょっと聞いて、今日学校でこんなことがあったの。○○くんにこんなこと言われたの!」って。

--愚痴(笑)。

アンジェラ:そう!愚痴。「○○先生はこんなこと言って、私のことをバカにしてる。先生は何も分かってない!」「そして私は何なの!?私はどこへ向かっているの?」って。それが1枚だったらいいんだけど、7枚も書いてあるの!音楽の事なんてどこにも書いてなくて。今や顔も思い出せないような人に振り回されたという、どうでもいいエピソードが延々と書いてあって。それにちょっとショックを受けたんです。でも、もしこの時期にね、「いろんなことあるけどさ、辛いことなんて、すべて時間が解決してくれるから大丈夫よ」って自分に対して言えたらどんなに楽だっただろうかって思って。その手紙を見ながらそんなことをボーッと思ってたら、「あ、これかも」って。
私が今、中学校の子たちに言えることっていうのは、同じように悩みを抱えてるってこと。大人になった、30才になった私も同じように悩みを抱えてるけど、あれから15年生きてきて、ひとつ言えることがあるとすれば、もしあのときの自分に掛けてあげられる言葉があるならば、それを手紙の返事として送ってやろうって。だからテーマは「そして未来へ」なんだけど、「未来へ」ってひとつの方向を示すだけじゃなくて、私は過去も現在も全部引っくるめて「そして未来へ」を書きたいと思って。それで歌詞を手紙にしようと思ったら、素直に出来たんですよ。








私も25ということで15歳から10年が過ぎようとしている。そこで、私も今の想いをぶつけられるだけ書いていこうと思う。しばらくお付き合いください。
15の私は多くの中学生とおおよそ同じしような少年だった。体が小さく癇癪もちということで、多少からかわれたり、体の大きな人やヤンキーに殴られたりなんかはあったが、大きないじめもなく中学時代は過ごしていた。そんな私でもやはり悩みというのは尽きなかった。アンジェラ・アキと同じように自分の居場所がわからず、自分が誰かもわからない状態で、まさにアイデンティティの確立途上。皆さんにも経験あると思う。取繕ったり、嘘をついたりつかれたり。この時期に初めて上下関係を学び、スクールカーストという現実をつきつけられる。中にはそのカーストに収まることなく独自路線で生き延びていた人もいるだろうが。
この「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」もこんな歌いだしで始まる

十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです

未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう




誰にも言えない秘密や悩みをみんな抱えていて、それでいて吐き出す場所が見当たらない。15の子供たちにとってはそれが最も大きなストレスになる。学校という場所が彼らにとっては世界のすべてで、そこにいるクラスメイトや先生、親が全ての救済者であり唯一の神だった。


今負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている


どうしてこんなに言葉だけで感動できるのかはわからない。ただ一つ言えるのはこれが等身大の当時のアンジェラの言葉であり叫びであることは間違いない。


そして彼女はこの15の自分からの手紙にこう答える

自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる
荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め
今負けないで 泣かないで 消えてしまいそうなときは
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い今を生きている
人生のすべてに意味があるから 恐れずあなたの夢を育てて
keep on believing




--10代のアンジェラはなぜ30才の自分に手紙を書こうと思ったんですかね?

アンジェラ:20才の自分宛てだと近すぎると思ったんじゃないですかね。タイムカプセル的な発想だったんじゃないかな。当時の自分からすると30才なんて、私たちが今見る60才みたいな感じだし。それぐらいの感覚でしょうね。で、それを30才になった自分がこのタイミングで読むっていう。「あの頃からこの流れが出来てる」って思うと、ちょっとゾッとしますけど(笑)。

--ちなみに15才のアンジェラってどんな女の子だったの?

アンジェラ:15才は、一番不安定な時期でしたね。ちょうど日本からアメリカに引っ越してきたときなんですけど、それまでハーフで田舎で過ごして嫌なことがいっぱいあったんですよ。で、自分の人種を否定する部分がすごくあって、変えられないものを変えたいと思っていたんです。これが東京のインターナショナルスクールに通うとかだったら全然違ったんだろうけど、私が居たのはド田舎で、先生とかに「混血者って初めて見た」とか言われて!だからどこに行っても「自分は違う」と感じて。どこへ行っても嫌な目でジロジロ見られて。例えばランチをファミレスで食べてても、みんなじーっと見てたり。それがすっごい嫌なんですよ。
で、15才でハワイに行ったとき、マクドかどこかに入ったんです。それで母と妹と3人でレジに並んでたときにふと気付いたんですよ。「誰もウチらのこと見てない」って。徳島とかのマクドに3人でいたら、みんな「うわ!」って感じになってたのに(笑)。で、それに気が付いたときに泣けてきて。その場で「誰もウチらのこと見てない」って号泣して。それに妹と母ももらい泣きしちゃって、ハンバーガーどころじゃなくって、3人で「もう大丈夫よ」みたいな。それが15才のときの印象的な出来事ですね。
「自分って何なんだろう?」って本当に思ってて。日本人なんだけど、日本にいても日本人扱いされないし、アメリカ人なんだけど、アメリカ来たら英語喋れないし。「やっぱり私は日本人なんだ」と思いながら、でもアメリカの居心地の良さはあって。そういう矛盾してることがいっぱいあって。




子供の頃の悩みは本当につまらなくてくだらなくて些細なものである。取るに足らないようなことでいつまでもうじうじし、いくらでも解決策が見つかるようなことばかり。私たちは大人になるとどうやらそう感じてしまうらしい。大人になるともっとたくさんの残酷な事実やジレンマを抱えることになるからかもしれない。その痛みに麻痺し、かつて精いっぱい戦ってきた大きな敵はいつのまにか嘲笑の対象となってしまう。「死ぬとかバカかよ」「しょーもないわ。そんなことで不登校とか甘すぎ」。時に人は無意識に子供たちを傷つけてはいないだろうか。私たちもかつてそんな「しょーもない」悩みを抱えていたことを忘れ、今の自分と比較し攻撃する。そんな無意識が一番恐ろしいことも知らずに。
中学生の頃、まさに15歳の時、はっきりと覚えていることがある。当時、何事にも裏を疑い、正論が捻じ曲げられている世の中が嫌で仕方なかった時があった。「男の子だから~」という根拠のない差別的な決めつけにいちいち反応していたし、「子供らしく~」とか「健常者は無条件で障碍者を助けましょう」とか、全ての世の中の常識にかみつき「なんで?なんで?」と常に聴きまわっていた。当時の私には合理的な理由のないものを受け入れられる器はなかった。道徳とか人道とか義理とか、そういう感情が欠落していたのだ。そしていつも「それが世の中だ、社会だ」と大人たちになだめられ、悔しい思いをしてきた。そして私は誓った。

「大人になっても絶対今の自分の考えを馬鹿にしたりするようにはならない」

あの頃は若かった、大人になればわかるよ。そうやって過去の自分の目いっぱいの苦しみや葛藤を恥じたり見下したりすることは絶対にしないと誓った。それは今でももちろん守られている。当時は当時なりに考え抜いて出した結論や考えがあって、それを未熟だとかそういう言葉でごまかしたくない。そして同時に今、当時の私と同じような悩みを抱えている子供たちに対して、最大限に「わかるよ」と声をかけてあげられる人間になりたい。そうでありたいのだ。あんな醜く腐ったような大人にはなりたくないのだ。醜いくせに「社会にもまれるとはこういうことだよ。大人になったんだよ」と、なんだったら少し誇らしげにするやつなんか大嫌いだ。






NHKのドキュメンタリー番組を通して、学校に行って15才の子たちと接する機会があって。平賀さんも同じ歳だから分かると思うけど、それがなかったら15才の子となんて接する機会ないでしょ?友達の子でも15才はいないし。だから中学生と久しぶりに接した感じで、最初はあんまり気にしてなかったんだけど、後から「私、歳が倍だ」って気付いてショック受けて(笑)。でもなんかね、リアルにいろんなものを抱えてみんな生きてるんだけど、すごくピュアであったことに胸を打たれて。それで「私、純粋さがない」と思ったんです。いろんなことを経験したりとか、破れたりすると、やっぱり深読みするし、裏を読んでしまうし、優しさを感じても「裏になんかあるんちゃうん?」みたいな(笑)。でも彼らは裏とか読まないのよね。だからより傷付くし、今日優しくしてくれた友達が家に帰ってブログとかで「死ね」とか書くなんて信じられないんだよね。だから壊れちゃうんですよ。ウチらだったら「こいつがこんなに優しくしてくれる裏にはなんかある」って警戒するじゃないですか。でもそれが無いから本当に傷付いて「もう死にたい」とか口にしてしまうんですよね。で、私は「あ~、この感じ、覚えてる」と思って。その客観性が全くないピュアネス、一生懸命さに心打たれて。

全てhttp://www.billboard-japan.com/special/detail/545より引用



大人になることは汚れることだ。10年たって強く思う。どうしたって汚れて醜くなってしまう。誰かを疑ったり裏切ったり。あの上司には媚びを売ろう、あの部下にはいじわるしてやろう。あの男には色気を使おう、あの男は金づるにしてやろう。
どうやらそれがこの世界を生きる上でのマストスキルのようで、だれしもどうやって欺くかを日々競い合い、称えあっている。
どうだい?
醜いだろう?
こんなもんじゃないぞ。15の俺。
5年後には大きな地震が来る。関係もないところだけれど、お前は深く傷つく。父親の仕事が日本中からけなされるんだ。根も葉もないうわさが飛び交い、嘘が嘘を作り、それがさも平然にテレビに流れる時代が来る。そして世間はそれが間違いだったと気づいても私たちに一つも謝ることなく、何事もなかったかのように今度は私たちの味方に回るぞ。そしてお前は人間不信になる。善と偽善について悩み、こんな状況でもひどいことを言う奴がいて、ひどいことをするやつがいて、支えあうことすら鼻で笑うような人間がうじゃうじゃいることに気付く。汚いぞ。未来はすべて汚いぞ。


でも



せめて自分だけは。自分だけにはみんな正直であってほしいと今でも思ってる。それは15のアンジェラ・アキも今の私も同じ。



ああ負けないで 泣かないで 消えてしまいそうなときは
自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう
今を生きていこう







Tegami Angela Aki 投稿者 hawaiiantommy



最後に。
被災者の方はこんなブログ間違っても見るわけがないので、書いても全く意味がなく、そしてすごく間抜けなことを言っている。でも、アンジェラ・アキのこの歌詞は普遍的で万人に届くシンプルな言葉だと思う。被災者のみならず、それに心痛めているたくさんの人にむけて。噛み締めたい
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう