2025年10/23 「帝銀事件」と「下山事件」 | てるてるの小屋

てるてるの小屋

ベイスターズの大ファンです
映画と音楽とお散歩が大好きです☺️
思いつくままに、気ままにやってます

曇り空の朝。

今季いちばんの冷え込みの朝でしたが、昼間は晴れるようだ。


きのうは、寒いし雨だしで一日引き籠り。

なので、録り貯めていた番組を観まくりました。

NHKスペシャルで、未解決事件の特集がありましたが、「帝銀事件」「下山事件」を取り扱ったドラマとドキュメンタリー番組がありました。

ともに、敗戦後の占領下に起こった前代未聞の事件だった。

「帝銀事件」は、1948年1月に帝国銀行椎名町事件で発生した毒殺による強盗事件。

東京都の防疫班員を装った男が赤痢が近くで発生したとし、GHQの命令で予防薬を飲むように説明し、2種類の薬を行員家族たちに飲ませ、毒殺し現金小切手を強奪した。

警視庁の捜査は混迷を極めた。

使用された薬剤が青酸化合物であるが特定できず、犯行の手口から医療関係者や旧陸軍の関係者が疑われた。

捜査陣は「731部隊」など大陸で毒薬研究を行ってきた組織の関係者への聴取を進め、使用された薬剤が「青酸ニトリール」という遅効性のものではとの情報を得、「憲兵A」なる最重要の容疑者が浮上したらしい。

ところが、「731部隊」などの組織の関係者はアメリカと取引し、情報を提供する代わりに身の安全の保証を取りつけて戦犯に問われず、捜査陣にGHQから圧力がかかり、それ以降旧陸軍関係者への捜査が止まってしまった。

代わりに浮上したのが、画家の平沢貞通さんだった。

なぜか大金を持っていた平沢貞通さんは逮捕され、取り調べ中に自供したが、その後無実を主張した。犯罪に使用されたのが即効性の青酸カリとされ、死刑が確定した。

平沢さんは獄中から無実を訴え、再審請求が何度も斥けられるなか、1987年に95歳で死亡した。


「下山事件」は、やはり敗戦後占領下に起こった不可解な事件で時効を迎えた。

1949年7月、国鉄の総裁であった下山定則氏が5日行方不明となり、6日未明に足立区の常磐線線路内で轢死体で発見された。

捜査陣は、警視庁捜査一課が「自殺説」、捜査二課が「他殺説」を主張し対立した。

「自殺説」の根拠は、下山総裁が10万人の国鉄職員解雇をめぐり労働組合との交渉に疲弊しており、5日に現場近くで本人らしき人物が多数目撃されているというもの。

「他殺説」の根拠は、鑑定に当たった東大法医学研究所が「死後轢断」と認定し、下山氏は別の場所で殺され現場に運ばれたというもの。

主任検事の布施健氏は後に「ロッキード事件」で、検事総長として田中角栄首相を逮捕した人物だが、科学的証拠を重視し「他殺説」に立つ。

捜査により、下山総裁が出勤途中に三越に立ち寄り、行方不明となったことから、下山総裁は三越で何者かに拉致された可能性があること、朝日新聞記者の捜査により轢断現場から離れた地点に血痕がルミノール反応により発見され、布施検事は他殺の確証を持つ。

ところが、突然捜査本部は解散してしまう。圧力がかかったようで、事件は迷宮入りする。

捜査本部解散により、検察庁内部で捜査を継続させていた布施検事は、ソ連のスパイだと名乗る李中煥という人物から手紙を受けとる。GHQの管理下に小倉刑務所にいる李氏と面会した布施検事は、彼から他殺説を裏付ける詳細な証言を得るが、別の情報屋から李中煥氏は二重スパイで犯行をソ連の仕業と見せかけようと工作しているとの情報を得る。

黒幕はGHQのキャノン機関、実行部隊は旧陸軍関係で諜報謀略を行っており、キャノン機関の下請け的な日本人グループというところまで迫ったが、圧力に屈して捜査を断念せざるを得なくなった。

そして、1964年事件は時効を迎えたのだった。

ドラマでは森山未來さんが布施検事を演じました。

なかなか観ごたえがありましたな。


アポロ13号の奇跡の生還など、いろいろ観まくりました🎵