いい天気の日曜日の名古屋の朝。
きのうは、沖縄の「慰霊の日」。
本土ではほとんど知られていない6月23日、日本軍が本土防衛のための捨て石として沖縄の島民を巻き込んだ勝算のない防衛戦。首里城陥落で組織的抵抗が不可能になったにも関わらず、陸軍は本土防衛のための時間稼ぎとして、ガマ(洞窟)が多数ある南部への撤退を命令します。しかし、その地域は非戦闘員である島民が疎開避難しているのです。南部での抵抗は必然的に島民を巻き込む悲劇を生むことになります。
6月23日は陸軍の司令官と参謀長が自決し、組織的戦闘が終了した日とされます。
ところが、司令官は兵士の降伏を許さず、そのためガマでの掃討戦が続くことになり、ガマを逐われた島民は米軍の銃口にさらされることになるばかりか、逃げ場を失った島民には集団自決が強いられることに。
降伏し死を免れた人たちは、海外経験をもつ人が中にいて、説得をしたそうです。そういう人たちは軍からスパイ扱いされ処刑されたようです。
独自の文化を持ち、周囲の国との交流で繁栄していた琉球王国を侵略し、支配収奪してきたのが薩摩藩です。島民から収奪した利益が倒幕の資金となりました。
明治維新となると、日本の支配下に反対した琉球王国に対し、明治政府は武力で王様を拉致し、王国を滅ぼしたのです。
その後は、差別と支配にさらされた島民は、名前を変更させられ、方言を禁じられたのです。
だから、沖縄の戦争は捨て石だったのです。
戦後も米軍の占領下に置かれた沖縄
、その背景には沖縄統治と引き換えに体制維持を図ろうとした昭和天皇のマッカーサーあて書簡がありました。
それを知った皇太子(現天皇)は、その反省と贖罪の行動を沖縄のために繰り返しているのです。
安倍首相には、沖縄県民の痛みなど想像すらできないんだろうな。
歴史を歪めて嘘をつき続ける百田氏も安倍さんのお友だちだし。
歴史を知らないのが恥ずかしいことではない、知ろうとしない、知らせようとしないことが恥ずかしいことだと思います。
続く