おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ
今回は大分学検定・おおいた遺産講座の共有です!大分学研究会の例会で2つのテーマを学習。
学習した内容をみなさまにも簡単にご紹介いたしますm(__)m
「大分学✎」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwAnOg6sAM1WMnLYfWzTj4Zm
(1)「別府八湯温泉とおんせん県おおいた」
最初のフィールドは、別府市。湯のまち別府は、とにかく温泉がたくさん
今回、温泉研究で有名な斉藤先生に別府の温泉についてご講演いただきましたm(__)m
▽別府八湯 講座動画→https://youtu.be/2n-j6kaTbMY
[1.温泉について]
温泉にも様々な種類や様態があり。さらに、その温泉の活用方法も様々あり。
[2.別府八湯と活用事例]
大分県別府市には温泉がたくさん。
その別府市には大きく8つの温泉地あり。
今回はこのうち、おおいた遺産に認定されている「明礬温泉」「鉄輪温泉」の2つをご紹介いたします!
いずれも、独自の景観&技術がポイントです!
1)明礬温泉
※おおいた遺産ページ
- 別府八湯の中でも最も標高の高い温泉地。
- 明礬→発色(ナスの漬物)、収れん、殺菌・防虫などに使われる。
- 主に3つの泉質→「酸性、酸性硫黄泉(硫化水素系)」、「硫黄泉(中性)」、「単純温泉」→八湯で最も香りの高い温泉。
明礬温泉の湯の花は、他の温泉地とは異なる特殊なもの(凝った形状)
→青粘土を使った製法(国重要無形民族文化財)
▽湯の花小屋
▽青粘土と湯の花
・ただ、技術の継承・青粘土の枯渇・高付加価値化などの問題あり。
→もっと注目・大切にされてもよい文化であり、さらなる活用方法を見出す必要があると、斉藤氏。
Cf:湯の花小屋など明礬温泉の動画→https://youtu.be/hbIEp-4OJAk
cf:明礬温泉で一番おすすめの「ホテルさわやかハートピア明礬」さん。
森の隠れ家的な雰囲気&2つの泉質を同じ施設で楽しめます♪
大分別府ホテルさわやかハートピア明礬 動画→https://youtu.be/nadx76t54Rc
2)鉄輪温泉
※おおいた遺産ページ
別府といえば、湯けむり景観♪
▽鉄輪の湯けむり展望台から湯けむりを臨む。毎日・毎時間変化のある風景です☆
・湯けむりの発生→泉温が高いほど発生しやすい(泉温70度~見えやすい)
・別府の湯けむりは408本あるといわれる。
・乾燥した日よりも、寒い・湿潤・無風の時のほうが湯けむりを見やすい。
・その別府では、日本で早く地熱発電&地獄めぐりに取り組む。 →別府は全国各地の温泉地の先駆け的存在
Ex:オンパク、エール飯(別府で取り組み始めたものが、全国の温泉地に波及)
▽日本初の地熱発電の写真
・ただ、地熱発電は難しい…。
→石油のように運べない、生み出す熱量は石炭の100分の1以下、コスト大など
・そこで、余った温泉を活用した「温泉発電」が注目されます!
・「湯雨竹(ゆめたけ)」という技術にも注目!→温泉成分を薄めずに温度を冷ます装置(塩田で使われた技術を活用)
Cf:鉄輪でおすすめの温泉のひとつ、「ひょうたん温泉」
ひょうたん温泉と湯雨竹 動画→https://youtu.be/8b8vdaQdeoU
以上、別府八湯の講座でした。
斉藤先生、温泉活用法を中心に別府の温泉の魅力や今後活用すべき道を教えていただきありがとうございましたm(__)m
☆「温泉♨」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwA3yV9JSRWXgCYJGaIiCdFn
(2)咸宜園と廣瀬淡窓
続いてのフィールドは、大分県日田市。
日本遺産にも認定されている私塾:「咸宜園(かんぎえん)」と、その創始者の廣瀬淡窓について学習。
講師は、長年廣瀬淡窓先生の研究をされている深町氏。廣瀬淡窓先生の実績、咸宜園がなぜ近世最大規模の私塾となったのかをご講演いただきましたm(__)m
▽咸宜園 講座動画→https://youtu.be/gHIXVd8BhQ8
Cf1:📝2016年の深町氏の講演記事→https://ameblo.jp/takatch/entry-12143537626.html
Cf2:2013年魅力体験ツアーin日田 動画(咸宜園訪問)→https://youtu.be/4GpcNGU_1TA
▽廣瀬淡窓先生。61歳、苗字と帯刀を許された際の像。
[1.廣瀬淡窓先生の実績]
- 豊後三賢のひとり→三浦梅園、帆足万里、廣瀬淡窓
- 淡窓の3つの業績→教育者・漢詩人・儒学者
- 商家に生まれ、神童から小さいころから学びに励むも、病弱に悩まされた→それでも多大なる業績を残された。
- 長男であったが、病弱のため、弟に家督を譲る→その弟の家計の子孫が、広瀬勝貞大分県知事。
[2.咸宜園が近世最大規模の私塾呼ばれる大きな理由2つ]
- 存続期間が長かった(創始者の淡窓だけでなく、養子・門人が継承して92年間も存続)
- 塾生数が多い→全国68ヶ国中66ヶ国からも入門あり、入門簿だけでも3,000人以上(入門簿が残っているだけでも貴重&実際はもっと多いはず)
[3.詳しい7つの要因]
1)当時の世間はは教育熱が高まっていた。
文字の文化への移行期(識字力の必要性)→出版業界にも活気、流通・貨幣の文化(計算力の必要性)
2)日田が交通の要衝・九州の文化&経済的中心地だった。
また、町人の元気な町で、比較的自由な雰囲気だった。
3)日田が自然に恵まれ、割と小規模な町だった。
勉学に集中しやすい、リフレッシュもできる。
4)淡窓先生のご人徳
- Ex1:「万善簿」…よいことを1万個実践することを目指す。(背景:54歳の時に親しい人をたくさん亡くす→これまでの実践を記録していなかったことを反省)
- Ex2:塾生と平等に接する、漢詩を情操教育に用いるetc...
5)独自の教育システム
学習以前に、まずは生活をきちんとできる点から教育→全国の家族からも信頼された。
- 「三奪法」…身分・年齢などを撤廃し、みな平等な状態で学ばせる。
- 「月旦評」…学力のみで評価。月初めに成績表示→学習意欲を湧かせる。
- 「職任制」…全員に役割を与え、社会性・協調性などを身につけされる。
6)廣瀬家の支援
商家「博多屋」である廣瀬家が物心両面の支援
7)紹介の全国ネットワーク
- 入門簿には紹介者が必要→逆に紹介が入れば入門しやすかった。
- 卒塾以西の僧侶と医者のネットワークが広がっていった→僧侶=仏典の文字を読むために学習が必要、意外と多かった。
[Cf:2013年に辻野功先生から教えていただいた咸宜園の関連エピソード]
1)京都成章高校
- 咸宜園の前名→「成章」。
- 京都成章高校(当時は別の校名)が男女共学になる際、校名を変えることに。→その際、学校関係者で淡窓を尊敬人物がいた。そして、成章を提案。
2)咸宜小学校(咸宜園近くにある)
- 江戸時代の三大漢詩人であった淡窓→児童全員が淡窓の詩吟を吟じられるとか。
- 規律正しい校風→掃除が始まるまで正座で待機するなど。
以上が咸宜園と廣瀬淡窓の講座でした。
深町先生は8年かけて、なぜ咸宜園がここまで大きな私塾となったのかを熱心に研究されたそうです。
今回の講演も熱がこもっておりましたし、人物像・教育システム・社会や地理など多方面から考察。
改めて結構有名な人物をたくさん輩出され(大村益次郎・清浦奎吾など)、淡窓先生も信頼が厚かったことを感じました。
ありがとうございましたm(__)m
以上、今回の大分学・おおいた遺産講座でした。
自然・文化など、大分は注目すればかなりすごい実践やポテンシャルがあることに気づきます。
それを今後どう生かすのかが大切だと今回も感じました。あなたもぜひ大分をご堪能あれ♪
以上です。最後までお付き合いありがとうございましたm(__)m
<P.S.>
大分学検定参考書紹介動画→https://youtu.be/jzqZJHiXh_4
第8回大分学検定1位表彰・感想動画→https://youtu.be/sY6LnnTMwQY
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