おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ
日ハム、日本一おめでとうございます^^o((*^▽^*))o そして、SHINJO選手、お疲れ様でしたm(__)m
今日の日記では、高校時代の監督との思い出をつづります♪
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<1.監督について~最高の恩師~>
📝2022年春の選抜甲子園、大分舞鶴高校野球部監督として初采配を執られた河室聖司監督が今回の恩師。
2022春選抜高校野球1日目(大分舞鶴 河室聖司監督采配)紹介動画→https://youtu.be/Y6NczXe9Apg
監督は、私の3年間の学年主任だった。 保健体育担当。当時年齢は40歳手前だった。
体格が良く、また声も太く、どっしりとしていた。 そして、目がきらきら輝いていた✪ฺД✪ฺ)
私が高校球児になったのは、高2の春である。
高1時は柔道をしていたが、怪我や興味が無かったことで辞めた。
走るのが嫌いだったため、高校では野球から逃げた。
しかしある時、私は中学以来、また野球に興味を持ちはじめた。
今度は選手としてではなく、グランドマネージャーとして入部した。
以前この役職を野球部で採用していたことを聞いており、それ を私がやりたいと思い、自ら監督に志願に行った。
すると監督は「実はまたこの役職をやろうと思ってたんだ! 一緒に頑張ろう!!」
…と励ましてくださったwo((*^▽^*))o
こうして教師と生徒だけの関係から、監督と部員という関係も スタートする!
部活中は本当にお世話になった。
正直、どの部員よりもよく話しただろう!! しかも年齢差を超えたおもしろトークも交えて(笑)
時には礼儀のこと、練習の指示間違えで怒られたこともあった。 しかし、基本的に私には優しかった^^
最後の試合が終わった後である。 球場外に出た時、監督が私のもとへ来て、握手をし、肩を抱きながら、
「ありがとう!いい教師になれよ☆」
…と一声。
本当に高校球児としての集大成でありまた新たな人生へ 向けたかけがえの無い一言だった♪
その後も関係は続いた。
大学受験の二次対策の小論文添削を、なんと監督がかってきたのである。 非常に密に指導してくださった^^
あいにく浪人が決定してしまったが、その時監督は私の 両肩をぽんと叩きながら
「お疲れ!!本当に最後まで頑張った☆」
…と、半ば涙目で私を励ましてくださった♪
浪人中の夏。私は母校の甲子園予選の応援に二度も行った。
1回目(2回戦)を見た時に監督に会った。
その試合、後輩は なんと延長14回サヨナラ勝ち(2試合連続延長)を制しました!
気づけば時計は20時前を指してました!)をし、その後輩の 姿勢を見習い、来春の合格を監督に誓った!
2回目では、なんと試合後、監督が駅まで送ってくださった^^ 車内で久々に二人きりの会話!楽しかったです♪
今年の春。無事合格したことを携帯で知らせた。
後日、監督から電話で実家の近くの球場に呼び出された。 この日は練習試合で、うちの近くの球場にいらしていたのだ! (ちなみに監督は、私達の卒業と共に異動されました。)
ここでまた二人きりで話した!!気づけば3時間も(笑)
「今度は大人になり、酒が飲めるようになった時に会おう!」と約束した☆
Cf:それから10年後、📝高校の同窓会で河室監督と再会し交流♪
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<2.監督語録・学び>
この監督は生徒から愛され、また教師からも尊敬されています♪
この監督から「礼儀・元気・笑顔・闘志」を習いました☆
<監督の語録>
(学校生活)
- 「人が前に立ったら、その人の目を見なさい。」
- 「元気な挨拶、ありがとうございます!」
- 「プリントは、文字のある面を中に折ると死んでしまう。。。」
- 「『えっと~』はいうな!!(語尾上がりの話し方になるため。)」
- 「日本人は、二つのことを同時にすることを嫌う習性がある。」
(高校野球)
- 「お前らで力がずば抜けた選手はいない。その分、最後まで 諦めない、ねちっこい、ねちっこい選手になれ。」
- 「学校での勉強がそのまま社会で役立つことは、正直ない。しかし、そこから得ることの出来る『考える』ということは 社会に出て大いに役立つのだ!」
- 「昔、うちのユニフォームにはシルバーが使われていた。俺はシルバーが嫌いだった。一番をあらわすゴールドが好きだ。だから今のユニフォームにはゴールドが使われている。」
- 「百里の道も、九十九里を以って半ばとす。」
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<3.魂の叫び~最後の夏にかける思いがあふれる~>
さらに、忘れられない思い出をもう1つ。
高校3年の夏。最後の甲子園予選の前日である。
この日は、ベンチ入りメンバーの発表である。
この時、部員全員には暗黙の了解があった。
3年の部員は23人。・・・ベンチ入りは20人。
・・・すなわち、3年生から必ずベンチ落ちをするものがいることである。
監督がメンバーを発表した。
20人目のメンバーが返事した後である。監督がこう切り出した。
「まて!なんかそのお前らの返事は!!(╬☉д⊙) 」
そして・・・あの忘れられない言葉を耳にする。。。
「俺はこの日が来るのが一番怖かったんだ!!(╬◣皿◢)」
この言葉が、今も耳を離れない。。。
「俺はお前らが1年の時から、誰かが最後の大会でベンチ落ち するのがわかってて怖かったんだ!!」
監督は私らの代の3年間の学年主任で、保健体育を担当していた。
本当に私達をかわいがっていた、優しいお父さんのような監督だった。
その監督の、想像のつかない姿をこの後目の当たりにした。
「●●は毎朝早く来て、頑張りよったにのぉ・・・❝ฺ_❝ฺ)」
・・・あの監督が泣き崩れた!!私はショックだった。。。
その後もベンチ落ちした3年との思い出を涙ながらに語った。
そして、
「やに、ベンチ入りしたメンバーのその返事は何か!!
え?、今日は注射に行くので練習を休みます、とかいった バカタレは誰か!!(╬◣皿◢)」
(丁度この時、レギュラーでその日注射を終えグランドに来た部員がいた。)
監督はこの言葉を語る際、帽子を地面に叩きつけ、灰皿を飛ば し、机を蹴り、完全に私たちに涙目でガンを飛ばしていた。
そして・・・
(監督)「本当にやる気があるなら、大きな声を出せよ!!
・・・魂から声を出せよ!!(╬◣皿◢) 」
(部員)「はい!!」
(監督)「おまえらそんなもんか!!『はぁ~い』!!(╬◣皿◢) 」
<監督は顔を上に向け、口を大きく開け、顔を大きく下に 振り下げ、両足で地面を大きく蹴りながら叫んでいた!>
このやりとりが5分続く。。。
(監督)「1番●●!!(╬◣皿◢)」
(部員)「はぁ~い!!(╬◣皿◢)」
・・・20人分まで続く。。。
その後監督はかすかな声で、「よし、ベンチ入りのメンバーは 入場行進の練習をせよ。。。」といった。
後に部長がグランドに上がってこういった。
「君達と監督の『魂の叫び』、下の校舎までよ~く聞こえてきた。」
(※うちの高校のグラウンドは、校舎よりも高台にある。)
・・・この魂の飛び交った空間、瞬間を未だに忘れられない。。。
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その後、我々は初戦突破するも、2回戦で強豪私立と当たり、 5回コールド負けになった。
しかし、あの『魂の叫び』があったおかげで、最後まで我々は下を向かずに頑張った。
負けて球場外に出た。監督が私のもとにきた。
握手をし、私を抱きながら、
「ありがとう。・・・いい教師になれよ☆」
とおっしゃった。
・・・忘れられなかった。
私と監督の思い出は、後日語る予定である。。。
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・・・なんかドキュメント小説になりましたね。。。(笑)
私の青春の1ページです(笑)
▽あの日の📝翌日の開会式での、我が校の行進です♪
P.S体格は私と瓜二つでした(笑) 私がユニフォーム姿の時、部員はいつも監督と見間違え、 背筋をピンとしてドキドキしてました(笑)
☆「高校野球⚾」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwDaWX-3Qj8XjRxs80-LNJFx
