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おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ 本日2記事目です!
夕方の豊後大野散策前は、臼杵市へ♪
続日本100名城スタンプラリーと温泉へ
(1)臼杵城
臼杵市中心部にある丘に、臼杵城あり。
今でこそ陸地ですが、当時は島(丹生島)。丹生島城という別名はここから由来。干潮時のみ陸続きとなる陸繋島だったそうな。
▽臼杵城
▽本日は鯉のぼりVer.
▽竹宵の姿もまたよろし☆
▽小室哲哉氏も、臼杵城で演奏されたことあり♪(笑)
築城は、豊後国はじめ隆盛時には九州六カ国を治めた大友宗麟公。
以後、大友氏の主な本拠地へ。
南蛮船も来航し、城下町には教会などキリスト教信仰施設があり、キリスト教信者も多かったそうです。
▽大友宗麟公
▽城跡から城下町を望む。
1586年12月、戸次川の戦いにて、島津軍が四国連合軍を倒し、豊後を次々と攻めます。
そして、丹生島の戦いへ。
大友軍は、「国崩し(くにくずし)」とよばれたポルトガル製の大砲で、島津軍に応戦。
▽頂上の臼杵公園内に、国崩しのレプリカ像あり。
その後、宗麟公は豊臣秀吉公に九州出兵を要請→秀吉公は九州出兵を実施→島津軍は撤退を余儀なくされました。
臼杵城を死守した宗麟公は、翌1587年5月6日に死去。
のちに、息子である大友義統公が朝鮮出兵時の失態で豊後改易→福原氏が入城→福原氏が豊後府内城へ移ったのち、太田氏が入城→関ヶ原の戦いで西軍に与していた太田氏が降服→郡上八幡城主の稲葉氏が入城、以後明治維新まで15代続いたそうです。
では、城内を簡単にご紹介。
▽城内図
▽大手門。太田氏時代にこの位置へ。
▽二の丸。
城の西側にあたります。御殿があったそうな。
▽臼杵護国神社(稲葉神社)。
金葛籠と呼ばれる建物の中に、天守閣にあった財宝を入れていたという噂も。
▽天守跡。天守は3重4階だったそうです。
▽卯寅稲荷神社。
城の裏口(搦手)方面にある神社。
かつてこの卯寅口は船着き場であり、緊急時の避難口だったそうです。
さあ、続日本100名城のスタンプを押そう!
▽スタンプ設置個所は、臼杵城麓の臼杵観光交流プラザ(9:00~17:00)にて!
▽よし、これにて2城目☆
続日本100名城スタンプラリー2城目制覇☆
今回は続100名城で、自宅からもっとも近い臼杵城へ!
残り98城!(笑)100名城は4年かかりましたが、続編はいかに!?
☆「お城🏯」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwC6TlGAISo1Us3p9FqIhqX0
(2)臼杵湯の里
続いて、温泉
臼杵では毎度お世話になっている湯の里(薬師の湯)さまへ♪(料金や営業時間などは公式HPにて。)
▽大分県「臼杵湯の里温泉」紹介動画→https://youtu.be/OWo13j8-bCM
山のそばに建てられた、隠れ家的な温泉。
内湯と露天あり。露天は岩風呂で、山の雰囲気満載♪転地効果あり!
お湯は、やや緑がかったナトリウム-塩化物泉
ちょっぴり塩味あり、ツルツル感も少しあるお湯。体内もお肌もすっきりのお湯でした♪
☆「温泉♨」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwA3yV9JSRWXgCYJGaIiCdFn
以上、本日の臼杵訪問記でした!明日からまた現実生活…頑張ろう。。。(苦笑)
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