おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ
青年団平和集会in長崎、2日目です!
<目次>
【1日目(※前記事)】(1)開会 (2)フィールドワーク 1)佐世保無線電信所(針尾送信所) 2)殉国の碑・資料館 3)魚雷発射試験場跡 4)浦頭埠頭(3)交流会(ささいずみ本店)
【2日目(※今回の記事)】
(1)戦争体験者に学ぶ
(2)ディスカッション
(3)閉会
【おまけ】
佐賀県団との交流
☆「H29青年団平和集会in長崎」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwCZvRxLQxqm0aCFyXkIHQl5
【2日目】
青年団平和集会 in 長崎佐世保「戦争体験者からの聞き取り&私たちの決意」動画→https://youtu.be/LBiGUgrnZis
(1)戦争体験者に学ぶ
戦争体験世代の高齢化により、戦争体験を直接伺えるのも時間の問題。
平和集会では、こうした体験者の聞き取りも大切にしております。
今回は、佐世保空襲犠牲者遺族会会長の臼井寛さんが講師。
「『正義の戦争』はないという教訓を後世に-佐世保空襲と5年生の悲惨な思い出-」をテーマにご講演いただきました。
[臼井氏のご紹介]
- 1934(昭和10)年、佐世保市生まれ。
- 10歳の頃、空襲に遭い、母方の祖母と叔父、叔母を亡くす。
- 大学卒業後、佐世保重工、ソニーに入社。
- 定年退職後、佐世保市中央公園にある鎮魂慰霊平和祈願の塔に、墓名碑設立委員長として犠牲者の名を刻む活動を展開。
- 現在、佐世保空襲犠牲者遺族会会長。
[1.佐世保空襲による市街地の被害と現状]
- 年月日:昭和20年6月28日午後11時58分→空襲の始まった日。雨だった。「雨だから空襲はないだろう…」の矢先の空襲だった。
- 飛来機:B29 141機→高い所を飛行し、存在に気づかなかった。その数日前にも飛行していたが、爆弾を落とさず偵察のみだった。
- 焼夷弾:1,026t→目的:家を焼く(←→「爆弾」=殺人目的)米軍「日本には木造家屋しかない」と知っており、焼夷弾を活用。
▽焼夷弾の模型。
これを束にして空中から落下→上空でバラバラに飛散。これが結構重い!頭に直撃=致命傷だと察しました。
- 焼失面積:約178千平方メートル
- 焼失家屋:1.2万戸
- 被災者:6万人以上(市民2万人)
→佐世保は明治初期は農村(佐世保村) →明治後半:海軍の地(鎮守府)設置、鉄道が敷かれる→明治35年:市制へ(一気に人口↑) - 死没者数:現時点判明分で1,242人(実際は3,000人はいただろう。なぜなら、市役所が焼失し、市外に逃げた方も多い+遊郭もあったため、兵士もたくさん犠牲に
[2.国民学校5年生の悲惨な思い出]
(1)祖母、叔父、叔母の3人の窒息死
・臼井氏家族=広い水橋にある川のトンネルに逃げた。
父のみ家を守るため家に残った。
→なんとか全員逃れられ、家も残った。
→しかし、亡くなった3人の訃報が入った。
・祖母、叔父、叔母=トンネルに逃げる予定だった
→ただ、近くに下水道があり、そこに逃げた(より安心に感じた)
→しかし、不幸にも、そこには石炭などが疎開されていた
→空襲で石炭から煙が発生し、3人は窒息死。
⇒3人の遺体を近くの学校グラウンドに運び、火葬。
祖父「誰がこんなひどい戦争を始めたんだ!」と怒りをあらわに。
→当時のグランドには、遺体がピラミッド状に積み上げられ、木や葉を集めては自分たちで火葬した。
(2)家族6人中1人だけ生き残った5年生少女
父は出兵。残りの家族は防空壕で死亡。 彼女のみ、家に大事な忘れ物をしたことに気づき帰宅→近くの水槽に飛び込み助かった。
(3)学童疎開と学徒動員
・奇しくも、学校には学徒動員で県内からたくさんの学童があり、犠牲者もたくさんあった。
[3.「戦争受忍論」と民間人死没者の救済問題]
「恩給制度」=”国のためにはOK、逃げた者には恩給なし”の日本。
←→ドイツやイギリスでは、みんな平等に恩給あり。
←→日本は「戦争受忍論」を盾に、逃げている。
⇒きちんと全員に平等に恩給を施すべき。
[4.死没者『墓名碑』建立の経過]
- 「亡くなった方の名簿がないのはおかしい」と思い、佐世保に墓名碑を建てる運動を始めた。→遺族の高齢化に伴い、後世に引き継ぐことが大切だと思った。
- 500万円の建立費を、企業・団体・行政で募金。
- 原爆=国や行政がしっかりフォロー・サポートしている←→空襲=市民がフォローするしかない(行政に働きかけているが…。)
[5.殺し合いに「正義の戦い」とか「聖戦」はない]
- 欧米が東南アジアに侵攻
→日本「大東亜共栄圏を作って、欧米に対抗しよう!」と正当化。たくさんの尊い命が奪われた。 - 今の平和=戦争の反省上にあることを忘れてほしくない→小学校などで教育活動を行っている。
- 私たちの仕事=戦争体験を風化させず、引き継ぐこと。
以上が臼井氏の体験談やメッセージです。臼井氏、貴重なお話をありがとうございました☆
(2)ディスカッション
続いて、参加者同士で意見交換。
3班に分かれ、それぞれが行っている平和活動の紹介、今回の集会で感じたこと、これからの活動について語り合いました!
うちの班の要旨です。
[1.各団での平和活動]
慰霊碑の清掃、戦争体験の聞き取り、折り鶴制作etc...
※なないろベースでは、2014長崎平和集会にあたり、団員で折り鶴を作り捧げました。
[2.この集会で感じたこと]
・わずか15,16歳の少年が、国のために出撃したことを知り、果たして少年たちはどのような思いだったのかを考えた。
(↓これについて、各参加者の感想)
・「自分だったら行きたくない。絶対にいやだ!」と思う。
・「本心は国のためなんか思っていない。絶対に行きたくない」と思ったと察する。加害者側というが、彼らも被害者なのかもしれない。
・意外と嫌ではなかったかもしれない。昔、戦争体験者に聞き取りした際、「名誉だった」など誇らしげに語る体験者も意外と多かった。結局、思いを馳せても、当時の方とまったく同じ気持ちになれるはずはないのではと考える。
・教科書や資料と、現地では感じ方が違う。現地の方が、学びも多く、分かりやすく、自分のこととして考えられる。
[3.これからどう活動するか。]
・広報紙やSNSなどで情報発信。
・地元の戦争の歴史や戦跡を学ぶ。
・日頃から、ニュースなどを見て、自分なりの意見を考える(×「ふ~ん」と他人事に捉える&「難しいなあ…」と留まる)。
→Ex1:最近、北朝鮮がミサイル発射→Jアラートが鳴っても、「ふ~ん」と、どこか他人事として見過ごしていないか。
→臼井氏の話でもあったように、戦前と同じような状況にある。危機感を持つべきでは。
→Ex2:近年、青年団活動が衰退化している一因に、「"やりたい!"と想いはあってもそれを行動に移せていない」が挙げられる。
どうにかみんなで考え、話し合い、行動できるようになるとよい。
・様々な意見を知る、語り合う→それを上手にまとめるリーダーがいるとよい。
→もしかしたら戦争肯定者もいるかもしれない。様々な価値観があり、みんなが1つの同じ考えになることは難しい。考えの衝突が、いずれ戦争になるかもしれない。
お互いの意見をしっかり伝え、聴く耳も持ち、議論をしっかりすることが大切。
そして、お互いの意見をうまくまとめられる(衝突を和らげる)リーダーが存在するとよいだろう。
(3)閉会
閉会式ではまず、平和の誓いを宣言。
この大役を、なんと我らがなないろベースのゴン太が務めました!ゴン太、ありがとうm(__)m
そして、閉会。参加者はそれぞれまた地元へ帰りました
【おまけ】
佐賀県団との交流集会後、佐賀へ!10年以上お世話になっている佐賀の青年団員と、武雄市へ。
餃子会館・もしもしラーメンさんで昼食♪
今月から新天地で営業の人気店。訪問したお昼時、大行列で大賑わい!
ホワイト餃子という焼き餃子(実際は揚げ餃子に近いですが)で有名です♪
▽皮はふっくらでパリパリ。具もたくさんで、おいしく頂きます♪
▽もしもしラーメン。あっさり豚骨スープで、わかめ入り。これが癖なく、うまか~♪
▽みんなで同じ釜の飯を食う…がばいよかね♪(笑)
ここで、佐賀の皆さんのお別れ。ごちそうさまでしたm(__)m
その後、佐賀の温泉に寄り、別府で解散。ゴン太、参加ありがとう☆
<まとめ>
今回は、3つの学び。
(1)見方変えれば発見あり→今一度地元を見直そう!
佐世保=テーマパークのイメージでしたが、こうした戦績がたくさんあるとは。
また、加害者の視点でも初めて学習。
見たことのなかった視点から学ぶと、考えたことのなかった新発見あり。
佐世保の地も戦争と関わりがあったことなど、これまで知らなかった歴史あり。
同じように、地元も今一度歩くと、新しい発見があるかもしれません。
戦跡に限らず、「こんな場所もあるんだな~」と新しい出会い・発見があるかもしれないと感じました。
(2)主体的に!自分なりの考えを持とう!→「ふ~ん」と他人事に考える&「難しいなあ…」で止まらずに、一歩進もう!
まさにここが難しく(笑)、課題でもあるところ。
学習したことを、いかに他人に伝えるか。
そのためには、まずは自分なりの考えを持つこと。
自分なりの考えを持つためには、ニュースなど、日常のことにも興味を持つ・「自分にも関係あるんだ」という姿勢であることが大切だと学びました。
「自分がもし、戦時中の若者で、国から戦場へ赴くことを命ぜられたらどう思うか。」など、自分だったらどう思う・どう行動するかを考えることが、学びの第一歩だと。
「ふ~ん」&「難しいなあ…」に負けず、なんとか自分なりの考えを持つことが課題かなと感じました。
(3)思いの継続の大切さ
平和活動こそ、青年団活動の原動力。もし青年団が平和活動を止めたら、戦争が起こるかもしれない。
今回学んだことを、いかに多くの人へ、そして次世代へつないでいくか。
私自身は、まず平和集会にこれからも参加することを大切にします。
定期的に平和について考えること(平和について忘れないようにすること)が大事だと考えます。
そして今回のように、ブログなどSNSを通じて、学んだことを紹介します。
このことで、自分自身の考え方の整理・備忘録・他人への紹介ができるからです。
この記事がみなさまにとりましてご参考となれば幸いです!
以上が、平和集会のご紹介です。
ご講演頂いた皆様、日青協の皆様、ありがとうございました☆
また、参加された皆様、お疲れ様でした&思いと学びを各地で広げつなげましょうね!
最後までご覧頂きありがとうございました☆以上です!
「青年団・地域活動✎」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwD-_AZAG6c_M8gos44YcwqS