”三百八十年受け継がれてきた八代の宝が、今、世界の宝に。”
2017.11.23(Thurs)、@熊本県八代市
おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ
本日は、熊本県八代市へJR九州ウォーキングです
佐賀ん鳥栖以来、1か月半ぶり通算37コース目!
☆『ユネスコ無形文化遺産登録「八代妙見祭」ウォーク』(9.5km)
八代駅~妙見宮~新八代駅を歩きます!
通常のウォーキング記事の場合、コース・スポットを順番にご紹介。
しかし、今回はメインが妙見祭。
そのため、まずは妙見祭についてまとめてご紹介→その後、その他のスポット紹介という順番でご紹介ですm(__)m
▽熊本八代妙見祭動画→https://youtu.be/J_RC_LEbJgM
【目次】
- 妙見祭
- 訪問スポット紹介(水無川・懐良親王墓・松中信彦スポーツミュージアムなど)
(1)妙見祭
毎年11月23日、八代市で行われる「八代妙見祭」。
八代神社(妙見宮)の秋季大祭で、出し物行列が有名です!
九州三大祭の一つです!
…さあ、残り2つは??(正答は右の空白をクリック→長崎諏訪神社おくんち、福岡筥崎宮放生会)
昨年末には、「山・鉾・屋台行事」として、ユネスコ無形文化遺産に登録☆
なお、私は今回が初訪問!(大学時代4年間、熊本に住んでいながら…(苦笑))楽しみでした♪
起源・由緒は?
○今から380年前の寛永13(1636)年に始まったとされます。
○14世紀以降、妙見宮の南にある山岳部に、名和氏が築城の古麓城(当時の八代城)あり。
当時の八代の政治・経済・文化の中心地でした。
妙見宮周辺には、多くの寺院があり、商工業者が門前町・城下町を形成。
海外交易も行われ、繁栄したといわれます。
○16世紀に入り、相良氏が八代を治めます。
この頃にはすでに、妙見下宮~中宮への御輿巡幸・舞楽・流鏑馬などが行われていたそうです。
○その後、八代城は現在の位置に移されます。
その八代町は、熊本の五か町の一つになり、近隣の物資が集積→長崎・上方への積出港として賑わいます。
さらに、町の中を薩摩街道が走り、島津氏や幕府の役人が宿泊するお客屋(本陣)や高札場(お触れの掲示場)も設置。
○町人文化が花開いた元禄の頃(17世紀末)、八代町から、笠鉾・獅子舞・亀蛇など、趣向や贅を尽くした出し物も奉納。
→熊本藩主の細川氏、八代城主の松井氏(細川氏の家老)は、地域結束向上のため、祭りを盛りたてたそうです。
○19世紀初め頃、松井氏のお抱え絵師による祭礼絵巻
→様々な階層の人々が一体となって参加する盛大な祭りを描く。
○明治維新以降、行列から姿を消した出し物もあり
→しかし、ふるさと創生事業等により、行列の修復や復元が行われ、往時の賑やかな行列を再現。
○平成23年に国重要無形民俗文化財→平成28年にユネスコ無形文化遺産。
(※以上、会場で配布されたパンフレットをもとにご紹介。)
どんな行列?
主な出し物をご紹介!
☆獅子
中国風の獅子です
元禄4(1691)年、八代城下の豪商:井桜勘七が奉納したことに由来。
雌雄の獅子、チャルメラや銅鑼などが特徴!
地元の豊後大野同様、神幸行列の先鋒を務めるのですね!
(同じ九州三大祭の長崎くんちの先頭が、これまた豊後大野と同じ天狗:猿田彦であることに興奮した想い出もあり♪←あっ、九州三大祭w)
花奴(はなやっこ)
松江村の虎右衛門が、江戸花奴の作法を習い伝えたのが始まりだとか。
宝暦2(1752)には行列参加していたという記録もあり。
道具箱や雨傘を持つ。
道具の受け渡しは必見!
(※きちんとした画像がなく失礼…。)
木馬(きんば)
江戸期、八代城下に住む商人が、子どもたちの七五三祝いに奉納。
明治以降途絶えるも、昭和62年に復元。
鉄砲・毛槍
江戸期、祭りの警護のため、八代城の足軽・八代郡の郡司が務めました。
白和幣(しらにぎて)
もともと江戸期、妙見宮周辺の老若男女が白い御幣をもって行列に加わりました。
明治以降に途絶えるも、平成10年に復元。
籠
江戸期の神仏習合の頃、妙見宮の隣にあった神宮寺の高僧が籠に乗っていたそうです。
明治の神仏分離で寺僧の参加も籠も途絶えましたが、平成2年に復活。
神輿
寛永13(1636)年3月、八代城主細川忠興公が妙見宮に奉納。
金箔の豪華な神輿!
現在の神輿は、平成10年に新調。
※あいにく画像はなし…。これは参った。。。orz...(苦笑)
笠鉾
八代城下の町々から奉納され、全部で9基。
商売繁盛、子孫繁栄など、それぞれの願いを込めた飾りが付けられています。
妙見祭に奉納され始めたのは、天和・貞享頃(1681~1687年)と考えられます。
当初は質素だったそうですが、20年間で豪華になったようです。
なお、宮之町の菊慈童は、他の町より由来が古く、どんなに悪天候でも最後まで行列に出なければならないとか。
神馬・飾馬
神馬は、八代城主の愛馬の中から出されました。
その後、田中町から奉納。
田中町から出ない場合、毎年12月1日希望者の中から抽選を行い、翌年の奉納を決めているそうです。
飾馬は、江戸期には八代城内から12頭が毎年出されました。
明治以降、それぞれの町内からの奉納へ。
現在、希望者からの奉納へ。
飾馬の順番は、当日朝6時に抽選で決定。
亀蛇(きだ)。
亀&蛇が合体した想像上の動物で、「ガメ」の愛称で親しまれています。
その昔、妙見神が亀蛇に乗って海を渡ってきたという伝説にちなんだものだとか。
八代城下の出町から奉納。天和・貞享頃(1681~1687年)に始まったといわれます。
大きさは全長3m×幅2.5m、重さ100kg以上。
亀蛇の中には、「ナカ」と呼ばれる担ぎ手が5人1組で入ります。
うち1人が首を操ります。
上下左右に振りながら、ユーモラスな仕草で駆け廻ります!
宮地小学校や砥崎河原で各出し物を拝見しました☆
▽八代神社(妙見宮)
当初の神社は、白鳳9(680)年に、現在の八代第二中学校に隣接の竹原神社辺りにあったとされます。
その後、延暦14(795)年に、横嶽(三室山)山頂に上宮、永暦元(1160)年にはその麓に中宮、文治2(1168)年に現在の八代神社の地に下宮が創建。
(2)訪問スポット紹介(水無川・懐良親王墓・松中信彦スポーツミュージアムなど)
次に、ウォーキングで巡った思ったスポットをご紹介!
▽JR八代駅をスタート
▽水無川親水公園
水無川沿いに公園あり♪
▽ホタルの里親水公園
水がきれい☆
▽懐良親王墓
懐良親王は、後醍醐天皇の皇子。
南朝の征西将軍宮として、康永元(1342)年に薩摩に上陸。
九州の南朝方の中心人物でした。
弘和3(1383)年、現在の福岡県八女市矢部でなくなりました。
親王の墓は各地に伝説がありましたたが、明治11年(1873)宮内省の調査で、この八代市の墓地を親王の墓としました。
翌々年、八代城本丸跡に親王を祀る八代宮が創立されました。
本日も、お参りされる方も複数拝見。
▽国道3号から新八代駅へ続く道。
秋らしくのどか♪
▽晩白柚(ばんぺいゆ)
熊本の宇城八代地域で有名な大きな柑橘類
食用にも、お風呂にも、多用途に使えるすぐれもの!
なお、頭に落ちてきたら痛いでしょうね…w
また、昔、宇城の青年団員から、
「晩白柚とか、1,000円払ってまで買わんでいいよ!内の地元なんか、道路にたくさん落ちて転がっているよ!」
…おそるべし、熊本w
ダイエー・ソフトバンクホークス、そして侍ジャパンで活躍された、松中信彦氏!
三冠王も獲得された名選手☆
松中氏は、八代市出身!
松中氏の生い立ちや野球人生などを学べる記念館です
▽ゴールはJR新八代駅。
九州新幹線の駅です
<まとめ>
妙見祭、行列の出し物が多く、面白いですね!
それぞれに歴史もあり。
八代の町人が賑やかに創り上げた祭りという印象です☆
「今年もガメさんが駆け回った。いよいよ冬が来るなあ…」
…という言葉が地元にありそうですね。
それほど、風物詩として長年大切にされてきたという印象を持ちました^^
九州はじめ、全国各地のお祭りを見たいですね^^
長文失礼。
以上、八代妙見祭&JR九州ウォーキングの模様でした
大分のtakatch親方のmy Pick