2007.2.3(Sat)  熊本県植木町田原坂etc...


こんばんは!takatch親方です(`・ω・´)ゞ


今回はJR鹿児島本線でいく「田原坂ぶらり一人旅♪」を紹介いたします(笑)!!
テスト前にもかかわらず(笑)、息抜きがてらに行ってまいりましたw
歴史的&夜の●●スポット(名誉のため伏せておきます・・・)として有名な「田原坂」をご覧ください^^

「田原坂」
国内最大かつ最後の内戦となった「西南の役」における最大の激戦地。
官軍と薩摩軍が激しく抗争。薩摩軍が敗走をたどる場ともなった。

<田原坂公園へのアクセス>
  • JR鹿児島本線田原坂駅より・・・徒歩約30分
  •  九州自動車道植木ICより・・・・・車約20分

 

1)JRで移動[熊本⇒田原坂]

田原坂へは今回が2度目の訪問です!


📝前回は2006年6月に、寮のメンバーで夜の田原坂へ行きました!(夜の●●スポットとして・・・(笑))
今回は歴史的観点から田原坂公園を廻りたいと思いました!!
とりあえずきちんとした足がないので、JRで行くことにしました🚝
運賃は片道大人360円!いざGO!!
(※Caution!・・・普通列車がたまに田原坂駅を通過することがございます。)

20分後・・・到着!!


がっ!Σ( ̄口 ̄;;・・・、何にもない(_□_;)!!
 

無人駅だとは聞いておりましたが、ここまで物静かだとは・・・(汗)
ですが、落ち着いた山の中にあり静かです^^
いざ田原坂公園へ!!

(田原坂駅駅舎です^^)
 

2)七本柿木台場薩摩軍墓地

田原坂駅より歩くこと20分。
まず初めに訪れたのが「七本柿木台場薩摩軍墓地」です。
明治十年三月初旬から 四月中旬まで続いた田原坂周辺の戦いで、木留・七本原付近で戦死した薩軍や熊本隊の兵士329名が埋葬されている薩軍墓地です。
ここが三月二十日田原坂陥落のきっかけとなった陣地といいます。

 
(2つの石碑・塔が立っております。)

 

3)田原坂公園・田原坂資料館

現在はツツジや桜の名所で有名な公園に整備されております!
西南の役の時は、17日間に及んで官軍と薩摩軍とは激しい抗争を繰り広げました。
その時の様子を、園内にある資料館や「弾痕の家(復元)」でうかがうことが出来ます。

以下のリストで今回訪れた場所を紹介いたします!

 

  「弾痕の家(復元)」
当時の弾痕が壁面に残っております(_□_;)!!
↓詳細↓
*画像はありません* 「田原坂資料館」
当時使われた鉄砲や軍服の展示、また田原坂の戦い
のビデオも視聴できます!
  「慰霊塔」
戦死者の御霊を供養しております。
塔の後ろに戦死者名簿には1万人以上の人の名前が
刻まれております。
 
 
「美少年の像」
この戦いではわずか15.6歳の少年も狩り出され、
命を落とした。
<像の下に書かれた唄>
『雨は降る振る じんば(=陣場(?))は濡れる
  越すに越されぬ 田原坂
 右手に血刀 左手に手綱
  馬上ゆたかな 美少年』

…当時の様子を語っている民謡です。
薩摩軍を悩ませたのは大雨だと言われます。
それゆえなかなか超えることの出来ない田原坂。
そしてその中戦いをする若き美少年の姿が・・・
などと勝手な解釈をしている私です(笑)
  「薩摩塚」(逆光失礼します。。。)
かつては旧植木町役場入口と国道3号線との交差点
付近にありました。戦国頃の島津との戦いにおける
戦死者を葬ったとされる塚がかつてここにあったと言い
ます。西南の役における薩摩軍戦死者20名が、戦後地
元住民の手でここに合葬された記録が残されている
そうです。その後遺骨の一部は遺族に引き取られたと
の説もある。のちに土地所有者にこの碑が立てられまし
た。昭和44年3月バイパス道新設のため撤去されること
になり、ここに移されました。
  「一の坂・二の坂・三の坂」
激しい抗争が繰り広げられました!
長い坂が続いております。

1時間少々この公園を散策いたしました。

 

4)熊本市で・・・

田原坂よりJRで熊本市内へと帰ってまいりました!
駅で昼食を済ませ、今度は市内を散策することにしました!
本来でしたらとある国指定文化財がある場所に行く予定でした!


がっ(_□_;)!!、入場料を取られます。。。💦

これ以上の出費は。。。💦
ここで予定変更!熊本城付近へ!!

 

(A) 加藤清正像

 

 

熊本城を築城した加藤清正。(今年熊本城は築城400周年^^)
本日は偶然にも銅像を清掃しているところに出くわしました!(夕方の地方ニュースにも出てました!)
28年ぶりの清掃だそうです。
よって、今回は掃除中のため遠くからズームでの撮影となりました。
 
(通称「せいしょこさん」。熊本を治めていました!)
 

(B)谷干城(たに たてき)像と横井小楠(よこい しょうなん)と維新群像


今度は場所をまた変えてみました!


☆谷干城

西南の役では熊本鎮台の司令官で、熊本城篭城戦を4千人足らずの軍隊で戦い抜く。
原因不明の出火により城のほとんどを消失をするものの、熊本城を不落の名城として真価を発揮した。

 

☆横井小楠

熊本生まれの開国論を唱える思想家。
安政5年から文久3年にかけて越前藩に招かれた。藩主松平春嶽の参謀として藩政改革をすすめる。
 
(横井小楠と維新群像)

2名ともはじめて知った人物です!
ちなみに谷像の製作者は、大分が誇る彫刻家:朝倉文夫氏です♪

以上です。最後までお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m

 

 

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