①前四○○○年代、日本語に似た言語を話すシュメル人がメソポタミア南部に移住してきて、自分たちの先祖が天地を創造したとする最古の神話を創り上げた。当初は、口伝えだった。
その後、楔形文字や青銅器文化を発達させ、ウルク、ウルなどに世界最古の都市国家文明を築く一方、天空の神で頭に角のある太陽神を最高神や都市の守護神として崇めてきた。
我が国における太陽(日)神や牛頭天王に対する信仰は、これに由来するらしい。
当時のメソポタミアでは、シュメル人の建てたウルク第一王朝(前三〇〇〇年代~)、ウル第三王朝(前二十二世紀~)が続き、ウルなどの都市国家に巨大な神殿を建造して栄えたが、前二十一世紀に古バビロニアに征服された。その後、シュメル人はメソポタミアから突然姿を消した。
☆前二五○○~前一五○○年頃、インダス川流域にシュメル系のインダス文明が栄えた。
ウルの遺跡から当時の王墓が発見され、出土した粘土板の解読から第一王朝のギルガメシュ王を主人公とする英雄叙事詩やシュメル神話が広く知れ渡っていたと判明した。
第三王朝の滅亡後、シュメル神話はアッカド、バビロニア、アッシリヤなどに引き継がれた。
バビロニア神話は、バビロニア王ハンムラビがアッシリアを制圧した前一七五〇年頃、成立したとされる。これらは総称して、メソポタミヤ神話あるいは古代オリエント神話と呼ばれてきた。古代オリエント神話には、カナン神話、ヒッタイト神話、エジプト神話が含まれる場合もある。
〔シュメルの神話〕、原初の海の神ナンムは、天(アン)と地(キ)を創造した。天の神アンと大地の神キは、大気の神エンリルを産み、エンリルは大気の女神ニンリルを妻とした。ニンリルは月の神ナンナをもうけた。
ナンナは葦の女神ニンガルとの間に、戦争と豊饒の神イナンナ、太陽の神ウトゥをもうけた。
エンリル、イナンナなどアンとキの子孫ら七柱は、天から地上に降り立ってアンナキと呼ばれ、地上と冥界の審判者となった。
〔メソポタミアの神話〕、天の神アンシャルと地の神キシャルは、雄牛の角をもつ王冠をかぶった太陽神アヌ(天空の神、天の神、創造神)と大地の女神キを産んだ。アヌとキはエンリルを産んだ(アヌはキと交わり、英雄なる樹木と葦の種をその胎に注入した)。
エンリルは雄牛の角をもつ王冠をかぶり、長い髭を生やした姿で表現され、荒れ狂う嵐、野生の雄牛、洪水を起こす神の異名がある。妻で大気の女神のニンリルは、月の神ナンナをもうけた。
ナンナはニンガルとの間に、戦争と豊饒の女神イナンナ、及び太陽(日)神で正義・道徳・真実の神ウトゥの双子をもうけた。イナンナは冥界入りして冥界の女神エレシュキガルに出会って殺されるが、彼女の助力により復活した。
太陽(日)神ウトゥは、毎日、夜明けになると天の東門の扉を開いて戦車に乗り、空を横切って駆け抜けた。夕方になると天の西門より降り、夕食を食べて眠りについた。エジプトの太陽神のごとく、地下世界(冥界)を西から東へと一晩中駆けまわることはなかった。
彼は神聖な正義の執行者であり、苦しんでいる人々を助ける神として崇めれてきた。
アヌとキの子孫はアヌンナキと呼ばれ、天上から地上に天降った。
☆これらの神話は、「記紀」神話と似ていないか。神武天皇以降に諡されたスメラミコト(シュメルの御子)なる天皇の呼称も然りだ。
〔十六菊花紋のルーツ〕、十六八重菊花紋は天皇家の家紋の一つで、これに酷似する紋章はメソポタミアやオリエント各地の遺跡から数多見つかっている。
かつてイラクのフセイン大統領は、官邸での記者会見の最中に、ヨーロッパの記者からこう尋ねられた。
「大統領閣下の腕輪にある十六菊花紋の紋章は、日本の皇室の紋章と似ておりますが、如何なるつながりがあるのですか」
すると、大統領はすかさず答えた。
「あなた方は、古代メソポタミアの歴史について、もっと勉強してほしい。これは、我が国の先祖、世界最古の文明を築いたシュメル王朝が用いた王家の紋章なのです」
十六菊花紋はシュメル王朝に限らず、牛の角を持つメソポタミア生まれの太陽神アヌや、その流れをくむミトラ神のシンボルであったし、シュメル、イスラエル・エジプト・ペルシャ・バビロンなどオリエント諸国でも、ミトラ神由来の十六菊花紋を家紋とした王や王家が多数存在した。例えば、アッシリアのアッシュールバニパル二世(前七世紀)の彫刻には、手首に巻いたバンドに菊花紋が彫られていた。二六○○年前に新バビロニアの都バビロンに建設されたイシュタル門にも、王家の紋章として菊花紋が描かれていた。復元されたイシュタル門のライオン像下部にも、十六菊花紋が刻まれている。
エジプトでは、三三○○年前のツタンカーメン王墓から青銅器製の菊花紋が出土している。
イスラエルの城門の一つ、ヘロデ門にも十六菊花(十六芒星?)紋の紋章が施されていたし、ユダヤ教の祭壇には、菊花(芒星?)紋とダビデの星が共に飾られてきた。
イスラエルでは、ユダヤ人の祖と仰がれたアブラハムがシュメル王家末裔の印として菊花紋を使用してきた。その根拠は、彼の父親テラがシュメルの神官を勤めてきたことにあるらしい。
ちなみに鎌倉時代の後鳥羽上皇は、菊の花を殊のほか好み、自身の印として愛用してきた。皇室の紋章が十六八重菊花紋に定着したのは、後鳥羽上皇以降とされるが、はたしてそうだろうか。
皇室に縁深い古社で、十六菊花紋を神紋とするところは多々ある。確かめられては、いかがかな。
六根清浄 六根清浄 真実一路の旅なれど、真実鈴振り思い出す