いっぱいの

励ましのお言葉コメント全て拝読させて頂いておりました。
又街中ではファンの方から「再開に期待しております」との生のお声掛けも度々、

私は報道の立場では無いですが嘘は書きたく無い本当の気持ちや現状を皆さんに知って頂きたい
勿論事情で当時は話せない事もありました。が
投稿する事により、
叱咤激励を頂き自分の今後の役者生命の糧にしたいという思いで書いてきました。

過去に関係する主催者さんからや役者さんから事実なのに、
内容的に排除して欲しいと言う依頼も多々ありました、その段階で僕の本意でないと辞めることも出来たのですが
自分なりに頑張って来ました。

昨年12月に京都南座にて
親子三代数年ぶりの共演
息子は大役を二つも頂き、私も諸々の都合で四役
父も他の方達からしたら若いですが息子からしても色々気にしなければならない事が多くなり
初めての地方公演の息子の体調管理
又この時期はインフルエンザ等の感染症が流行るので毎年本当に気を使います。
後半最後の最後で息子も自分も軽い胃腸炎を起こし彼は食事を摂食困難で自分はストレスからか
一週間で3kg落ちてしまい二日に一回は楽屋で点滴状態でした。
 
そして一月
海老蔵くんの演舞場責任公演
二人の可愛いお子ちゃまの晴れの舞台
当時昨年末からご一緒していた父の親友左團次さんが年末から咳をしてらしたり、又一月本公演へ入ってから、楽屋へお邪魔すると
いつもふざけて「俺はもうダメだ死んじゃうよ〜」とおっしゃって死んだふりをなさる
兄さんが、終演後楽屋へお邪魔したら
冗談を言えない状態で座っておられ
通称「おとうさん」
『おとうさんしんどくないですか?チョット待って血中酸素を測るから…』と自分の機械で測ったら平均より低い数値だったので
『呼吸が整ってからお着替えしてくださいね』
『病院行って下さいね〜』
とお声掛けして、僕は自分の仕度へ戻りました。
その晩、演舞場制作担当社員から自宅へ来電
「左團次さんインフルエンザで明日から休演になります。」

正直パニックになりましたね、
この数年、予防接種・手洗い・ウガイ・マスク・エアーマスクを僕やスタッフには徹底させていたのですが、確実に接触していて
二人の大事なお子さんにうつしたら
最悪完売の演舞場公演自体が休演になる事も頭をよぎりパニックになりました。

インフルエンザも落ち着き、
本公演中、あの二人の姉弟はお父さんや普段遊んでくれる座組みの役者さんが忙しかったので
一日に何回、僕の楽屋を奇襲していた事でしょうか?僕が身体を横にして休めていると、
その上に二人が重なりあったり、
「パパに内緒ね…」と言う話や
「麻央ちゃんがね…」と言う話をいっぱい聞きました。
五十を過ぎた自分にも正直とても複雑で、
初めは返答に困ったりもしましたが、普通に対応出来るようになりました。
かんかんとは、舞台の上で親子の役で接していました。
普通の子役なら舞台からキョロキョロ客席を見たりする事が多々あるのですが、彼にはそれが一切なく長松と言う役に成り切っていて
親子の別れの場面では海老蔵くんブログにもありましたが涙も流すし口跡もお父さんより良いかもしれません、このまま成長したら今の海老蔵くんを超える新・新之助くんが来年には誕生すると確信しています。

1月23日の誕生日には、
カンカンからお誕生日プレゼントカードを



『おんなるかみ🖤がんばってね🖤』
正確には「女鳴神がんばってね」なんでしょう

ブルーは隈取りに使うメイクの色を合わせてセロハンテープも塗ったよ❣️と自慢していました。

いや〜泣けましたね

当日後から楽屋入りの海老様へ 
僕の楽屋で
誕生日カードの報告をしたら
『あいつ朝から何かゴソゴソしてたのは、これだったんですねー』
孝太郎
「いや〜朝から泣かされたよ〜」と海老さんに行ったら
『俺もきちゃった…』
とのこと
彼も献身的に親を頑張っています、
朝ごはん作ったり旅行したり


カンカンは、幡随院長兵衛の台詞を全部覚えていて、
これには敬服しました。
先ずは一月末迄の舞台での思い出を


この数ヶ月の思いを
又、おいおい書いていきます。


孝太郎