さあ気づけば7月。夏休みまで実質2週間くらいになった。子供達の気持ちも夏休みに向けて落ち着かなくなるのでご注意を。

 

 さて、今回のテーマは教育における「自由」。授業やなにか決めるときの教育的な「自由」について書く。

 では、どのような場面でこの「自由」が生まれるのか。この疑問についていつも視聴させていただく村野聡先生が解説してい

た。

 

 

 

 

 

 

 1.好きな者同士

  班決めやグループを作ることがある。通常、担任が子供の能力や友人関係から作ることが多い。しかし、子供達で決めさせようと自由に決めてよいとすることはないだろうか。この自由に決めさせるとどのような弊害が出るのか。

 考えられるのは、好きな人同士にすると余ってグループに入れない子はいないだろうか。また、自分からグループに入りたいと言えない子供も。

 そこで教師が、「1分以内に決められるならどうぞ」や「グループに入れない子が出るなら先生が決めます」といったようにしておくのがポイント。だいだいの場合は、子供は決められない。

 

 2.自由に活動

  外国語活動や道徳など活動を必要とする授業がある。そのようなときにこんな指示をすることはないだろうか?

 「友達3人とあいさつしてきましょう」。この場合、自分から話しかけられる子供であればいいのだが、中には動けない子や全く活動できない子がいる。そんなときは、教師の指示が重要である。この指示を「まず、隣の人とあいさつします。」「次に班の人とあいさつをします。」とすると2人クリアーである。そうするとあいさつが0人になる子供がいなくなる。

 

 3.自由な授業

  おそらく、私もそうだが経験が多いと思うのが作文指導。何もしないで「自由に書きましょう。」と言ってはいないだろうか。得意な子はどんどん書くことができるが、苦手な子は全然書くことができない。作文には、書き方があるので書き方を教えないといけない。

 

 4.(自由な)自習

  全体への作業をさせると、早く終わる子供は必ずいる。そんなときに自分で考えて自習としてしまうことはないだろうか。自分で考えられればいいのだが、何もやっていいかわからずに話し出したりぼーっとしてしまったりする。場合によっては、ちょっかいを出し始める。ここで教師の叱責となるのだが、教師が悪い。何か自習のさせるのであれば必ず教師が選択肢を出すことが必要である。

 

 

 

参考: you tube 村野聡チャンネル 「教育における『自由』は時に子供達にとって残酷です」