ふと目にしたネットの記事に

聴覚障害をもつ家族も

ヤングケアラーに該当するとありました。


だとすると私もヤングケアラーだったんだ!

と今頃気づいて唖然としました。


私には姉がいて

私が産まれた時には既に姉は難聴で

物心がついた頃には姉の通訳をする役目が

与えられていました。

今の時代のようにテレビに字幕はなく

みんなでドリフを見て笑っても

姉はなぜみんな笑っているのかわからない。

私は素早く姉に状況を説明し

姉が笑ったら安心する。

テレビに限らず

生活全般で聞こえない姉をサポートするのが

普通と思って育ちました。

水戸黄門が姉だとしたら助さん格さんが私。

時には風車の弥七、時にはうっかり八兵衛と

姿を変えて、水戸黄門に尽くしました。


父は私が幼少の頃亡くなっていたので

家族は、母、祖母、姉、私の4人家族。

母は働いていてほぼ家にはおらず

目と足の悪い祖母と難聴の姉、私の生活。

目と足の悪い祖母を小学校低学年の私が

遠くの目医者に連れて行く事もありました。

不安で怖かったのを覚えています。

(このときの私に言いたい。頑張ったね)


子供の頃から、不安感たっぷりでした。

そして「あんたは橋の下で拾ったのよ」

という母の言葉を真に受け

「いつか本当の家の人が迎えにきてくれる」

と本気で思っていました。

虐待とかDVはなかったし

生活もゆとりはあったけど

子供心に、しんどかったんだろうな、私。