相川の佐渡金山に行く途中に「キリシタン塚」
ということを書こうと思ってて更新忘れてた(笑)
佐渡でも江戸時代にキリシタン狩りがされた、ここはその場所。
花咲く場所にキリストの像がある。
でも、金山とはなんの関係もない。
歩道にも草が生い茂ってた。
江戸時代になって、佐渡はすぐ天領地、つまり幕府の直轄地になった。
それは、徳川がこれから続く治世に、内需外需において金銀が必要と知っていたということ。
その統治感覚がすごい。
単に戦に勝って、大名を従えて米の石高の序列してただけじゃないんだ。
そしてその江戸初期になぜキリシタン弾圧があったのか。
それは、キリスト教の否定ではなかった。
その布教で入ってくる名目で人身売買が起きていたからだった。
宣教師がキリスト教を広め、そこで日本人が国外に売買されていたことを信長、秀吉のころこらわかっていたのだった。
そういう海外のサイレントインベージョン対策に、徳川治世の最初に取り組んだのだった。
キリシタン塚を登ると、海外でよく見る形のお墓があった。
そこには、キリスト教の名前を入れた島民の名前が並んでいた。
キリスト教は、人間がそもそも原罪をもっていて、聖書にある正しい生き方をすべきなんだと説く教えだ。
そのこと自体は、謙虚な教えだ。
人身売買は、キリスト教を利用した守銭奴の所業だ。
徳川幕府は、キリスト教を否定したのではなく、キリスト教信者を作らせないことが国防だと考えたのだ。
それは分かるが、キリスト教を信じた無垢な信者が一律踏み絵を踏まされ、処刑された。
無論、徳川がこれをやったから、人身売買の海外勢力を一掃して、安定した江戸時代を築くことができたのだ。
このキリシタン塚は、その場所なのだ。
同じ場所に、峠の茶屋跡があった。
都の無宿人が連れて来られ、ここを過ぎたら鉱山だと知らされた、つまり、過酷な労働が待っていて、もう帰れないと覚悟を決める場所だった。
光と影。
私たち人間の人生、国の歴史は、全て正しく美しくあれるわけじゃない。
時として失敗も取り返しのつかない過失もある。
日本の歴史にも光と影がある、と思った。
行くことはできるが、整備されない場所。
蚊もクモの巣もあるが、歴史の影の部分をみるのに、花が美しく咲き、観るべき場所だと思った。


