私はいつも、玄関から一歩外に出ると、
緊張して萎縮して、周りをキョロキョロ気にして、
下手に出ながら、迷惑にならない様にと、
コソコソひっそり行動するようにしています。
それは高校時代くらいから始まり、
どんどん行き過ぎなくらい、
挙動不審なくらいドギマギな姿になってしまい、
今はしっかり精神障がい者歴30年以上の、
超ベテランになってしまっています(笑)。
だけど、それって、本当は、
他人様に迷惑を掛けたくないとか、
他者に心配させたくないとか、
そんな真っ当な理由から起きたと気づきました。
だって本当の自分はメッチャ気が強くて、
しっかり者だし、責任感も強くて、
誰にも負けたくない完璧主義者なのです。
家とか実家では、その姿を家族に見せています。
だけど、いつの間にか、社会という場所では、
自分を見せない様になっていました。
強い自分は出したくないのですよね。
いざと言うときに取って置きたいのです。
だから猫を被って生きるようになり、
弱い自分のフリ、気を遣って庇うフリ、
色々な自分を演じて来た自分だったのです。
小さな頃にも親から「お前は内弁慶だね」、
と言われていたのを覚えています。
本当に気を許した人にしか自分を見せないのです。
そうこうしている内に、
現実で本当の自分が見えなくなって行きました。
そんな繰り返しの中で、弱いフリの自分が、
本当の自分だと思い込む様になり、
社会生活が困難なほど、
障がい者になってしまうほど、
演技が皆の前で当たり前になり、
苦しいだけの自分になって行きました。
でも今日、心の中に本来の強い自分を確認し、
「あ、こっちが本当の自分だった」と取り戻し、
この本来の強い自分が現実でも現れてくれると、
もう自分は大丈夫だろうなと確信しました。
つまり私は、周りに気を遣い過ぎて、
自分を見失っていたのですね。
優しい自分を現実で展開しながら、
皆の荷物を背負い込んで、その苦しみを乗り越え、
でもそれに飲み込まれずに、
最後は、自分をしっかり取り戻し、
ちゃんと元の地面に着地した自分でした。
ペコペコと他人様に気を遣って、
優しく在ることに潰されそうになっても、
ちゃんとしっかりとしたゴールの自分に辿り着き、
強さも取り戻せたのなら、
優しさは強さというゴールに帰れますよね。
そう、優しさは強さだったのです。
優しくても潰されず、強い自分まで辿り着く。
優しさが花開き、しっかりとした愛へと仕上がる。
こうして、現実の迷路から心のゴールへと、
道は繋がったのですよね。
さぁ、これからの私は、現実でも強い自分で、
思うままに自由に生きられるかも知れません。
心からの本質的な優しさに切り替わり、
嘘なく、優しさと強さの融合体を、
示せるかも知れません。
それではここまでのご精読、
真に有り難うございました😊🙌💕