私はよく、心の中で叫びます。


「私だけは光へ向かってやる〜」などと。


その度に、身体に痛みが走ったり、


痒みを感じてしまったり、


誰かの声が心で響いてみたり、


それら全てが、私には妨害に感じていました。


だから私は誰にも理解されない孤独者だと、


心に決意を固めて走って来ました。


だけど、今日気づきました。


その絡みはすべて、私への関心だったと。


皆、個性があって、バラバラだから衝突する、


そう思い込んで来ました。


でも確かに、隅々まで分かり合うなどは、


永遠に私たちには無理なことです。


だけど、それ故の衝突と捉えるのか、


それとも、分かり合えなくても、


独りではなかったと捉えるのか、


絡み自体が皆からの愛だったのではないかと、


そう思えたのです。


もう、皆さんなら、こんな事、


とっくに分かって居られるのかも知れませんが、


私には新鮮な発見でした。


そりゃあ、面倒くさい絡みもあります。


だから、質の高さを譲れない自分も、


居て良いのだと思います。


だけど、自分の道は独りぼっちでも、


絡みによって必ずしも孤独オンリーではなかった、


そう言えたのではないかなと、


少しだけ、見え方が変わりました。


人間、志を高くすると、


俗世に分かって貰えないとか苦しみますが、


志の高い自分も棄てずに居ながらも、


俗世だろうと何だろうと、


たとえその世界が自分を嘲笑おうと、


足を引き摺り落とそうとも、


叩きのめして自分を吊るし上げようとも、


その全てが皆からの関心だったと捉えられるなら、


きっと志高き道を進む上での、


前進の追い風に感じることも可能だったと、


そう、思えるのです。


志高く独りぼっちで、しかも永遠孤独地獄と、


そう覚悟を決めた私でしたが、


何処かでいつも、誰かが関わってくれていたなと、


確かにそう思えるのです。


邪魔されたと言うより、


関わりを求められていただけ。


だけど、やはり私は関わりはそんなに要りません。


心の中で「独りぼっちじゃない、ありがと」


そう呟くだけにして、


このまま、志高き道を貫き切って参ります。


これからも頑張ります!


ありがとうございます🙇💕🌄💞👋