外を歩くだけで、他者の目が気になったり、


妙に萎縮して遠慮がちに歩いたりする。


それって、皆にエネルギーを奪われてる証拠。


この世の中は、正々堂々愛を奪う人達で、


メッチャ溢れ返っているから、


正しい愛の投げ手や、


愛がこんこんと溢れ出る人が、


非常に苦労するように出来ている。


要は、皆が地獄世界を生きていて、


もう他人なんかどうでも良くなっていて、


楽にテキトーに生きたほうが勝ちとか思い込み、


真面目な頑張っている人を食い物にしてる。


私もね、社会全部からエネルギーを搾取され、


全員から良いように振り回された人間なのだよ。


それでも今は、「私は間違っていなかった」と、


笑って堂々、生きているのだけどね。


人間はとにかく、闇に慣れすぎて、


光を忘れてばかりの社会だったよね。


クソ味噌ごちゃまぜで、


正しいものを間違いと言い、


間違いを正しいと思い込んでいる。


皆が可怪しくなっていたよね。


そんな社会に敏感な人が、


波長の乱れを感じては他者の異様さに目を疑えば、


それを視線恐怖症と呼び、


皆の愛の搾取世界に謙虚で居ようとしては、


萎縮して遠慮がちに生きづらい日常となる。


ただそれだけを精神障がいと呼んだだけなのでは?


たとえば幻聴は何なのか?


それは、正しく生きられていない時の自分に、


腐った社会に翻弄されている時の自分に、


天界が答えを教えようとアクションを起こしてる、


ただ、それだけだったのではないか?


精神障がいなんて、光世界に抜ける途中の、


ただ足掻いている道に過ぎないだけではないか?


何の恥でも愚かさでもない、


精一杯、地球社会の闇と格闘してる頑張りだった、


私にはそう、感じられるのだよね。


社会がね、余りにも光を見失い過ぎなのだよ。


それでも、社会は永遠という位、 


その事実に気付かないだろうね。 


如何なる真実も掴めずに皆が一生を終わるのかも。


こちらも届けたい想いは山ほど有っても、


目醒められていない人達に、


何も届けられなかったよ。


皆、眠りの中、今の自分で満足気に、


何一つ掴めずに闇にもつれ堕ちて行く。


こんな人達に一体、何を届けられたと言うのか。


目に見えなければ、「全ては無かった」と、


言ってしまう人達にどうやって、


心や霊魂からの愛の光を届けたら良かったのか。


これなら、皆を置いて行っても仕方なかったよな。


私は一言そう呟いて、たった独りの光世界に、


突き抜けて行くだけなのだ。


誰も連れて行けない。


たった一人すらも救えない、


そんな神理波動界の摂理であった。


私は愛が永遠だったから、


皆にその愛ゆえに舐められ、


誰一人、私に託された天界からの摂理を、


受け留める者は居なかった。


こうして、私独りだけが摂理をコツコツ学び、


段々這い上がり、


独りだけの心に完全愛を溜め込み、


神愛波動を巻き起こすしか無かったのである。


神愛波動が立ち上がるまでは、


私は誰からも尊重されない人生だった。


それでも、この神愛波動だけが、


私の役目だとしっかり自覚、認識し、


腐った社会をモノともせず、


ただ独り、神愛波動界を立ち上げるのだ。


一度、光と闇の格闘で敗北をした者たちは、


皆がみんな、もう二度光世界には、


自力で足を踏み入れることは出来ないだろう。


自分が敗けた闇の手下となり、下僕となり、


闇の指示に従い生きては、闇の意のままに、


光世界に抗う生き方しか出来ない者となる。


そんな者たちを、最後は置いて行くしかない。


だって、既に輩の心は、


死んでしまっているのだから。


叱りつけても叱りつけても、


最早、この声は永遠に届かないだろう。


私は光へと独り旅立って行く。


神愛波動の展開、ただそれだけの為に。


それでは、ここまでのご精読、


有り難うございました🙇💓✨