ある方のブログに「相田みつを」さんの言葉。


「幹を支えるのは根」だけど、


「根っこは見えないんだよな…」だそうです。


本当だな、私も「縁の下の力持ち」みたいに、


誰にも解って貰えない格闘をして来たけれど。


だけど、やっぱり、結果や形にならない努力は、


誰からも社会からも評価されず、


悶々と数十年間を送って来たな〜と。


う~ん、努力はしたのに、心だけが奔走して、


ヒッソリ草葉の陰から皆を見守るような人生。


それでも自分としては頑張ったのに、


きっと綺麗な心ばかりを人生に求め過ぎたことに、


自分としては何処か納得が行っていなかった。


汚いものでも妥協すれば、仕事はあるし、


自分のプライドを棄てたら幾らでも結果は出せた。


だけど、心の清らかさを大事にしたら、


結果は心の中だけ、仕事一つすら実らない。


そして生きている自分に社会の誰も気付かない。


これが私の求めた人生だったのかな…。


きっと誰かに認めて欲しかったら、


現実に結果を出せば良かったのだろう。


そして心の中の頑張りを価値とするなら、


自分で自分の頑張りを認めたら良かったのだ。


「見えない根っこ」や「縁の下の力持ち」は、


自分が自分を認めたら、それはそれで、


素敵な価値だったのでは無いだろうか?


誰かに認めて欲しかったら、目に見える結果を。


目に見えないものは、自分が認めるだけ。


これさえ解ったら、意外と自分は、


自分らしく生きて来れたのではないかと思えた。


どうしても現実のやり甲斐を求めたかったり、


暇な毎日を満たしたいなど思うなら、


綺麗な心だけでなく、自分に正直に、


現実に結果を出してみたりしても良かったのだ。


心を取るか、現実を取るかの、


自分との折り合いを付けられないと、


私達は悶々とするのかも知れない。


自分は心の充足を目指すタイプなのか、


現実でバリバリ結果を出したいタイプなのか、


それとも両方のバランスを取りたいのか。


自分らしい生き方と満足を求めるなら、


きっと素晴らしい人生になるのも、


そんなに難しくない事だったのかも知れない。


私だったら、綺麗な心を手に入れたから、


もう少し、結果も出してみようかな?


現実の社会の価値観とは、


自分は大きくズレているから、


家の中の小さな事から結果を出すだけでも、


練習になるかも知れないな。


心の完全性を立ち上げる闘いと、


現実の不完全と格闘する道と、


それぞれをちゃんと分けて、


各々の良さを理解しながら、


両方を私はこれからも叶えて行くだろう。


誰にも解られなくても「完全性」、


誰かに認めて貰えるけど「不完全性」、


どちらの自分の闘いも抱き締めて生きたい。