土方歳三とはどんな人物だったのでしょうか
天保6年5月31日、武州多摩郡石田村で土方隼人の四男として誕生しました
少年時代には薬の行商を行いながら剣術を学び、近藤勇らと知り合いました
文久3年、清河八郎率いる浪士組に参じ上洛したが、清河は尊皇攘夷を説き意見の違いから京に残留し、近藤勇、芹沢鴨らと共に新選組を創設していきます
新選組の中で狼藉を繰り返す芹沢派を粛清し、副長として近藤勇の補佐役に徹すると、新選組内における法度を定め規律を乱す者に苛烈な処断を行ったので鬼の副長と恐れられていました

新選組はある事件を境に飛躍します
池田屋事件です
枡屋(古高俊太郎)の存在を突き止めると、武器や長州藩との書簡を発見しました
更に土方は古高を捕らえ拷問により自白させるとその計画とは風の強い日を狙って京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて孝明天皇を長州へ連れ去るというものです
新選組は会津藩に応援を要請するが、事態は一刻を争うと見た近藤は単独行動に踏み切り、近藤隊と土方隊の二手に分け捜索を開始しました
近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘過激派を発見し、斬り込むものの苦戦を強いられ、土方隊の到着により、戦局は新選組に有利に傾き、9名討ち取り14名捕縛の戦果を上げました
この池田屋事件によって手柄を立てた新選組は念願の武士に取り立てられます

その後、長州は薩摩と手を結び朝廷を担ぎ新政府軍を誕生させ、幕府は逆賊となってしまいます
戊辰戦争が勃発、鳥羽伏見見の戦いで敗戦、新選組は江戸に戻りました
しかし関東でも敗戦が続き、ついに僚友である近藤は流山で捕らわれ斬首されました
一方、土方は明治元年、榎本武揚、大鳥圭助らと蝦夷へと向かい、松前藩を撃破し箱館の五稜郭を占拠します


さあ、そして今回の「その時」がやってきました


明治2年5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始されました
新選組隊士が守備していた弁天台場が包囲され、籠城戦を嫌った土方は僅かな兵を率いて五稜郭を出陣、敗走する仲間に、「我この柵にありて、退く者を斬る!」と檄を飛ばしました


五稜郭(新タワーから)

土方「くそ~あいつらどこまで攻めて来る気だ、いい加減にしろってだ」 《ダ~ン》
土方「ウッ・・・」
沢 「土方さんどうしました、どこをやられたんですか」
土方「あ~肘、肩と心臓・・・」
(ひじかたとしんぞう)


土方歳三終焉の地

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