デメリットの方がある程度はっきりしているので、こちらから挙げてみる。なお、この辺りで断っておくが、ここに書いているものの根本的な部分は、みな前の流派で学んだことである。
デメリットのまず一つは、繰り返しになるかもしれないが、本来の空手としての技そのままの形で競うのでない以上、空手本来の強さ、優劣は計れないということである。最も極端な例で言えば、寸止め競技で、当てて相手が倒れれば、当てた方が劣っているという判定になることなどに明らかである。つまり、本来は必要のないはずの「目標の直前で止める」技術が含まれた形で判定がされるのである。また、武術を標榜する組織からすれば、目突きや金的蹴りがあれば、あんなことはできないといった意見もあるだろう。
また今挙げたものは、実体的な、技術的なものであるが、空手本来の優劣が計れないという点では、精神的な面においては、もっと大きな違いがあるのではなかろうか。また分かりやすい例で言えば、当たっても痛い程度の竹刀相手と、面をもらえば間違いなく死ぬ日本刀相手では、精神状態が全く違う。つまり、切れる刀が相手であれば、死ぬ覚悟が勝負の重大な要素になるのであり、同じ技術があれば、その状態で技が使う精神力こそが、勝負を決めるであろうことは想像がつく。だからこそ、「剣の極意は相打ち」とか、「一歩踏み込め、そこは極楽」といった言葉が残されたのであろう。空手で言えば、出合いの中段逆突きは寸止めの試合ではポピュラーな技であるが、これが相手が上段にぶちあてるつもりでいると思えば、よほどの覚悟と技術がないと出せない技になろう。
しかし、以上の問題は、その問題を当人達が意識した上でそういうものとして行うなら、大したマイナスはない。本当の問題は、よく取り上げられるとおり、別にある。(続く)