星になってしまったミコ様 | TAKANOBUのブログ

星になってしまったミコ様

 

7/27の夕方

 

連休明けでバタバタし

疲弊し切っていたが

トラ子姫のフードをどうしても

購入しなければならす

ツルハドラッグへ

入店後iPadのWi-Fiをオンにした時、

オフィシャルの方から

face bookメッセージが。。。

 

何となく嫌な予感。。。

すると悲しい事に

嫌な予感が的中してしまった。

天才歌姫ミコ様の悲報を知る事に

 

日中ネット

報道されていた事実も知らず

くたびれた体が

一気に無気力状態へ

一体何なんだろうという程

事実を認められず暫く呆然としながらも

急いでキャットフードを購入

家路へと。。。

 

もう兎に角

頭の中は

グチャグチャ

全く事実を知りたく無いし

発信もしたくない状態に、

やはりそれは

ある時期

本当にご本人と強く

心で触れ合った時期が

有ったからだと思う。

 

ミコ様は非常に謙虚で

才能があるにも関わらず

それを鼻にかけるでもなく

日々努力を怠らず

ありがとうという感謝の気持ちを

素直に表現し

言霊を非常に大切にされていました。

 

そして人として

忘れがちな

当たり前にする日常を

欠かさなかった人でもだった。

幾ら有名になろうとも

人間としてのspiritsも天下一品

 

有名人は虚構を演じるそして

仕事だからと割り切るという

どこかやるせ無い思いをファンに

感じさせるものだが

ミコ様はモノの見事に

虚構と現実を融合させ

しかしそこにはとてつもない

パワーと神秘的人物像があった。

今考えてもミコ様は

巫女様だったのかもしれない。

 

ミコ様を知ったのは

物心ついた時であったが

その時聴いた話は

ただただ昭和44年紅白歌合戦で

衝撃的な出で立ちで

カムバックしたという

そこだけであり

ワシもあまり掘り下げもせず

月日は経過する、

 

そして時は平成11年

pizzicato fiveの

アルバムで

パーフェクトワールドを

聴いた

その瞬間

全身に衝撃が

何というfeelingの持ち主だろうと驚愕

そのfunkyでジャジーな歌声の主は誰?

急いでクレジットを観るとまさしく

あの衝撃的なカムバックを果たした

弘田三枝子であった。

 

そうこうして

とっかかりに

TOKYO27時ミコを購入

すると後援会の案内を目にし

何となくで入会

 

すると当時のオフィシャル社長である

H氏から電話が☎️

平成12年2月に

ミコ様の誕生会をするので

是非いらして下さいとのご案内

一つ返事で参加させて

いただく事を伝える。

 

今でも相方の岩野氏は当時を

回想するも、

あんな贅沢な時間は

おそらく今後一生

無いだろうと言っている。

 

平成12年2月

はじめてのミコ様誕生会

会場に着くと程なくして

社長がおいでになり

ミコ様がいらしたら

直ぐ行ってお話しして来てと言われた。

 

今考えると何とも

世間知らずで厚顔無恥なワシは

その名の通りズカズカとご本人かけより

北海道旭川から参りました

庄田ですと告げる

 

ミコ様は「わざわざ旭川から来てくれて

本当にありがとう。」と

心の底から感謝を言って下さり

何か初めて会った気がしない程に

何気ない話を沢山させていただいた。

 

しかし今考えると古参のファンに

総スカンを食うのも無理は無い、

何といっても全盛期は

日本の音楽を牽引した張本人であり

名だたるミュージシャン(大瀧詠一、山下達郎他)が

リスペクトする

雲の上の存在がやっと地上に降りて来たと

表現される位の方だったからだ。

 

当時やり取りを

させていただいた方に

疎まれまくった。

 

ファン歴40年だけれども

初めてミコ様と会ったのは

ファン歴25年経った時だった

しかしあなたは一夜にして

本人に接近した

とんでもないと

言われたが。。。。

自身も同じ立場なら

そういう気持ちになるのも

無理は無かったかもしれない。

 

そこは本当に亡き社長に

感謝感謝である。

 

はじめて会った日から

数年経ったとある夜

今は亡き渚ようこさん(ミコ様をリスペクトする歌い手)が

新宿歌舞伎町ゴールデン街でバーを営んでいた時

教えて下さったのが

「ミコさんはエラフィッツジェラルドから

養女に来て欲しいと言われた方ですよ。」という事実

そこでまたミステリアスな

ミコ様探求がはじまる。

 

岩野氏は毎回毎回進化するミコ様の

ステージを見る度に「良かったわ。」と連呼

そしてジャズは一流と言っていた。

 

ミコ様自身

世に出たのは

お母様のお陰であるとお母様を尊重し

日本の音楽シーンだけに留まったのは

何となく残念無念に思う。

 

無責任な言動になってしまうが

もしエラとの縁を強く持ち

世界的なジャズシーンで活躍していたなら

どうなっていたんだろうと思う。

生前ご本人からあまり自慢話は聞く事が無かったし

またあまりプロに対して音楽論の様な

ありがた迷惑な話はやめた方が無難だと

聞く事も話す事も無かった。

 

ただ、ご本人にまつわる数々の逸話は

とてつも無いものであり

国宝であったのはいうまでも無い。

 

歌に全身全霊で向かい

「私の歌で何かを感じてくれたらそれで良い。」と

おっしゃっていたのがつい昨日の様に感じる。

 

何時迄も何時迄も

貴方の愛ある歌声と

チャーミングで

礼儀正しいお姿は忘れません。

弘田三枝子さん

本当に本当に

ありがとうございました。

 

どうぞどうぞ

そちらの世界でも

素晴らしい歌声を響かせて下さい。