備忘録として


8月3日〜5日に新規で5000人台

 (検査体制のキャパを超えてしまって、数字上4000人台半ばで頭打ちも考えられる)


8月下旬に新規数ピーク


10月に第6波が開始




さて、昨年このブログにも書いたが、やはり現首相は首相の顔(格)じゃなかった。



そして、五輪といえば、アスリート達の心・頑張りを人質にして、組織を取り巻く大人達がカネ・ケンリ・イシンに固執する醜さが溢れている。


五輪の中止を求めた医療機関の上空を『医療従事者・エッセンシャルワーカーの皆さん、有難う!』と、見る立場によっては、まるで当て付けのようにブルーインパルスを飛ばしたり、


トランスジェンダーは社会的生産性が無いと言い放った議員に対して、よく言ってくれた!とコメントした作曲家の曲を世界的ゲームミュージックだとして開会式の曲に使用して、社会的多様性を唱っていた今五輪の理念と相反するような事をしたり、


コロナ禍による貧困で困った方々に対して、とある支援団体が食糧支援をしていた時、その傍らでボランティアの人数を大幅に上回る数を発注し、予定していたボランティアが当初より減ったと言って、フードバンク等に協力出来ない等の方策すら模索せず、更なる大量の弁当が廃棄されたり、


大坂なおみ選手が敗退した時、SNS上に心無い差別的コメントが横行し、それをNYタイムズが日本のソーシャルメディア上のおぞましさを報じてもいた。



アスリート達の頑張りを盾に、“五輪が始まったのだから口を噤め”と言われつつ、自分はいったい日本の何を見せられているんだろうか?