この方、お分かりでっか? | こやじのアメフト談義 ~悔いなきフィールドへ

この方、お分かりでっか?

$こやじのアメフト談義 ~悔いなきフィールドへ-paul rucsh

この方は、
ポール・ラッシュさん(Paul Rusch 1897年~1979年)といって
アメリカ合衆国ケンタッキー州出身の牧師。
親日家として知られ、日本に多くの業績を残し記念も多く残っている。


1923年の関東大震災後の
日本のキリスト教青年会拠点を立て直すために1925年に来日。
ルドルフ・トイスラーを助け、聖路加国際病院の設立に尽力した。
また山間高冷地で米作に適さなかった清里高原での酪農、
西洋野菜の栽培促進による開拓支援を行った。
1979年、聖路加国際病院にて82歳で逝去。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)


日本に長期滞在した彼は、山梨県清里の開拓をはじめ、
近代日本にさまざまな貢献を行いました。
彼の大きな功績の一つが、
アメリカンフットボールの紹介と普及です。

立教大学教授となった彼は、1934年(昭和9年)に
「東京学生アメリカンフットボール連盟」を設立し、その理事長に就任。
だたちに明治神宮外苑競技場で開催された日本初の公式試合は、
平日もかかわらず1万5000人以上の観客を集め成功に終わりました。
しかし第二次世界大戦の勃発で、敵性スポーツ・フットボールは中断。
ラッシュ氏も帰国せざるを得ませんでした。


戦後、フットボールが再開。それを呼び掛けたのは、
やはり再来日したラッシュ氏でした。

1948年には、明治神宮外苑競技場で第1回ライスボウルの幕が
切って落とされ、ラッシュ氏は始球式のキックを行いました。

$こやじのアメフト談義 ~悔いなきフィールドへ-20110316003

日本にアメリカンフットボールが誕生して50年目の1984年、
ライスボウルは東西大学選抜対抗戦から日本選手権へと移行し、
これを機会に、試合で最も活躍したプレイヤーに対して、
日本フットボールの父、ポール・ラッシュの名を冠した

最優秀選手賞(MVP賞)を贈り、その健闘を讃えることになりました。
$こやじのアメフト談義 ~悔いなきフィールドへ-20110316001

僕が今、アメフト出来るのも
ポールさんのお陰ということですなぁ~

日本で立教大学が最初に始めたとは知ってましたが・・・

$こやじのアメフト談義 ~悔いなきフィールドへ-20110316002

ちなみにこちらの”ポール”さんとは、違いますんで!!
わかっとるちゅうねんパンチ!


アメフトプレイヤーとしての知識は、あっても
知らんことが多すぎ~

知らんビックリマークあかんビックリマークキラーカーン!?


3つのブログランキングに登録してます。パチパチパチーンと1日1票いただくと
ブログ作成の励みになりますのでご協力願います。

人気ブログランキングへ にほんブログ村 その他スポーツブログ アメフトへ 
              にほんブログ村