先回の続き。
私の母親は、何と言いますか、宗教チックなものというか、人生相談というか、そんな宗教めいたものにはまっています。
私が生まれる前からですから、かれこれ30年以上になるでしょうか。
なんか問題や悩み事があって、それを相談しに行って、その場でお経をあげてもらって帰ってくる、という感じです。
本当に効果があるのなら、今の状況を解決してもらえば宜しいのではないでしょうか
なぜ出来ないのですか?
今回の帰省でも、新しいお守りだからと私に持たせようとしましたが、私は受け取り拒否しました。
正直な話、実家にいたときは私は幾度も付き合わされました。
私がちょっとでも批判めいた事を口にすると烈火の如く怒り出します。
ここまで来ると、その辺の新興宗教にはまっているのと大差ありません。
だってもう盲目的になっちゃってて、それ以外は信じられないんだもん。
こちらだって私の言うことには耳を貸そうとしません。
重症です。
いつしか私は、又聞き情報は必ず自分の手で調べる、必ず、まずは疑ってかかるという癖が付きました。
反面教師という奴でしょうか。
また、こんな系統の旨い話には異常なまでに敏感になりました。
本当に効果があるのなら、なぜ問題解決出来ないのですか?
なぜなら大抵、この手の話はきわめて抽象的な話に終始します。
どうすれば解決できるのかの問いに対して、抽象的な回答でお茶を濁されるのです。
私のようなタイプには到底納得が出来ないものです。
(私は文系ですが、思考回路は理系タイプだねと指摘されます)
逆に納得できる人を尊敬してしまいます。
教育者の視点から指摘するならば、難しい話を難しく話すのは誰でも出来ます。
言い換えれば、難しい話を難しく話すのは、その人自身が実はよく理解出来ていない証拠でもあるのです。
単純明快に具体的に分かりやすく説明出来る人は、実はすごいのです。
私は尊敬します。
少し話が脱線しました。
とにかく、高いお金を払ってやることなのかどうか、私には甚だ疑問です。
同じやるにしたって、もう少しやり方というものがあるでしょう。
まずはあの人たちの硬直的な考え方を改めることから始まるのではないでしょうか。
もう少し広い視野を持ちなさい。
毎度毎度レベル低い話ばかりで申し訳ございません。
ですが、これが我が実家の現実です。
膿はここで出し切ります。
私の母親は、何と言いますか、宗教チックなものというか、人生相談というか、そんな宗教めいたものにはまっています。
私が生まれる前からですから、かれこれ30年以上になるでしょうか。
なんか問題や悩み事があって、それを相談しに行って、その場でお経をあげてもらって帰ってくる、という感じです。
本当に効果があるのなら、今の状況を解決してもらえば宜しいのではないでしょうか
なぜ出来ないのですか?
今回の帰省でも、新しいお守りだからと私に持たせようとしましたが、私は受け取り拒否しました。
正直な話、実家にいたときは私は幾度も付き合わされました。
私がちょっとでも批判めいた事を口にすると烈火の如く怒り出します。
ここまで来ると、その辺の新興宗教にはまっているのと大差ありません。
だってもう盲目的になっちゃってて、それ以外は信じられないんだもん。
こちらだって私の言うことには耳を貸そうとしません。
重症です。
いつしか私は、又聞き情報は必ず自分の手で調べる、必ず、まずは疑ってかかるという癖が付きました。
反面教師という奴でしょうか。
また、こんな系統の旨い話には異常なまでに敏感になりました。
本当に効果があるのなら、なぜ問題解決出来ないのですか?
なぜなら大抵、この手の話はきわめて抽象的な話に終始します。
どうすれば解決できるのかの問いに対して、抽象的な回答でお茶を濁されるのです。
私のようなタイプには到底納得が出来ないものです。
(私は文系ですが、思考回路は理系タイプだねと指摘されます)
逆に納得できる人を尊敬してしまいます。
教育者の視点から指摘するならば、難しい話を難しく話すのは誰でも出来ます。
言い換えれば、難しい話を難しく話すのは、その人自身が実はよく理解出来ていない証拠でもあるのです。
単純明快に具体的に分かりやすく説明出来る人は、実はすごいのです。
私は尊敬します。
少し話が脱線しました。
とにかく、高いお金を払ってやることなのかどうか、私には甚だ疑問です。
同じやるにしたって、もう少しやり方というものがあるでしょう。
まずはあの人たちの硬直的な考え方を改めることから始まるのではないでしょうか。
もう少し広い視野を持ちなさい。
毎度毎度レベル低い話ばかりで申し訳ございません。
ですが、これが我が実家の現実です。
膿はここで出し切ります。