二人の稚児 谷崎潤一郎 | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

大晦日から元旦にかけて

谷崎潤一郎の

二人の稚児

という短篇を読んでいた。

 

何を読もうかと迷い

美文を読もうと選んだ。

 

たしかに美文だった。

 

ことばが視覚的な美を脳内に再現することはあっても

ことばがことばのままに美を感じさせるということは

なかなかできることではないように思う。

 

現代の作家でこういう美文を書けるひとがいるだろうか。

いるかもしれないがぼくの目の届く範囲にはいなさそうだ。

いや

いまの作家にぼくは美文を求めていないのかもしれない。

 

千手丸と瑠璃光。

 

俗世から離れて育ち

俗世の

特に女人を毒として斥けるよう教育されているふたり。

 

それを真に受けて女人をおそれるふたりに

滑稽さをさえ覚えながら読み進める序盤。

 

最初から遠ざけるよりも

いったん経験させたうえで

毒かどうか本人に判断させる方がいいのにな

と思いながら読んでいた。

 

上人様も経験したことがあるんじゃないの?

 

中盤で千手丸はとうとう

経験したうえで判断しようという方向に舵を切る。

 

女人は本当に毒なのかということに懊悩しているままでは

悟りは生涯訪れないだろうというおそれからくる判断だった。

 

半日で戻ると瑠璃光に言いおいて俗世に下りる千手丸。

 

しかし千手丸は戻ってこなかった。

 

やがて

千手丸の使いと名のる者が

瑠璃光を訪ねてくる。

 

ここからサスペンスめいてくる。

 

千手丸の筆による手紙。

 

そこには女人の素晴らしさが滔々と語られていた。

 

上人様に騙されていた

千手丸も郷に下りてきて自ら女人の素晴らしさを経験するべきだ。

 

悪魔的なささやきともいえる。

 

これは千手丸の本心なのか

あるいは

悪の手により書かされたものなのか。

 

まあ千手丸の本心なのだろう。

 

ぼくとしては

女性を愛する谷崎潤一郎のことだから

瑠璃光も郷に下りて

女性との愛を満喫することになるのではないかと思いながら

読んでいたのだが

悩みに悩んだ瑠璃光は

けっきょく郷には下りないことを決断する。

 

その後

年頃になった瑠璃光は

やはり千手丸と同様に

あらためて女人への関心が強まってきて苦悩するが

なんとか打ち勝つ。

 

そのうえで

夢の中に現れた普賢菩薩の使徒から

前世今世来世と三世にわたり瑠璃光と繋がる女人の存在を告げられる。

 

その女人は今世では禽獣となっており

この山の頂でひどい傷を負って死にかけている。

 

夢から醒めた瑠璃光は

なんとしてもその女人に会いたくなり

冷たい雪のなか山を登っていく。

 

ようよう頂上に達したと思われる頃であった。渦を巻きつつ繽粉として降り積る雪の中に、それよりも真白な、一塊の雪の精かと訝しまれるような、名の知れぬ一羽の鳥が、翼の下にいたましい負傷を受けて、点々と深紅の花を散らしたように血をしたたらせながら、地に転げて喘ぎ悶えて苦しんでいた。

 

そのあとの瑠璃光の行動たるや。

 

たしかにこういう関係の方が

千手丸の手紙にあるような女人との関係よりも

どれだけ官能的なことか。

 

 

 

 

--二人の稚児--

谷崎潤一郎