歯車 芥川龍之介 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

歯車を読みたいと思った。

 

唯ぼんやりした不安。

 

もうこんな世界では生きていけない。

 

芥川龍之介がそう考えるとどんな作品ができあがるのか知りたかった。

 

新潮文庫の

河童・或阿呆の一生

を買ってきた。

 

歯車は短編集の最後に掲載されている。

 

読み始めて思った。

 

あれ?

これはもしや自虐的ユーモアか?

 

暗いことばかり書かれているんだけど

それがあまりに過剰な気がして

切実というよりも

ブラックユーモアというか

悪ふざけで誇張して書いているんじゃないかと思えた。

 

読んでいるこちらも

シリアスになっていくというよりも

笑ってしまうほどに。

 

歯車が見えるとか

レエン・コートとか

オオル・ライトとか

片っぽしかないスリッパアとか

火事とか

肖像画の口髭とか

墓地とか

精神病院とか

希臘(ギリシャ)神話とか

Doppelgaengerとか

麒麟とか

罪と罰に混入したカラマゾフ兄弟とか

Black and Whiteとか

エエア・シップとか

仕掛けが多すぎる。

 

しかしこの作風

どこかで読んだことがあるような。

 

そうだ

カフカだ。

 

歯車は昭和2年(1927年)。

 

カフカの作品を芥川龍之介は知っていただろうか。

 

ちなみに

フランツ・カフカは1883年7月3日―1924年6月3日

芥川龍之介は1892年3月1日―1927年7月24日

だからほぼ同時代人といってもいいだろう。

 

ただ

カフカの作品が世に知られるようになったのは死後のことなので

芥川龍之介がカフカを知ることはできなかったかもしれない。

 

歯車がぼくの想像していたものとかなり違っていたので

少々はぐらかされた感想を抱きながら

でもなんだか

芥川龍之介の晩年もユーモアを書けるくらいの余裕はあったんだな

と少し安心もしつつ

新潮文庫を最初から読み始めた。

 

大導寺信輔の半生

玄鶴山房

蜃気楼

河童

ときて

だんだんと

やっぱり芥川龍之介の

この世界に対する嫌気というのは溢れているなあ

と感じ始め

或阿呆の一生

を読んだころにはすっかり

芥川龍之介は厭世観に囚われていることを確信した。

 

そしてあらためて

歯車

を読み返すと

初めて読んだ時の印象とはがらりと変わって

たしかに陰鬱で切実な死の予感というか死への意志

というものを感じないではいられなかった。

 

そういう意味では芥川龍之介は

ある瞬間に魔が差して自死した

ということではなくて

自死するために何年もかけて準備してきたという感じがする。

 

あるいはその途中でも

生きていく選択の道を模索していたのだろうか。

 

芥川龍之介が自死をせずに書き続けたらどんな作品になるだろうか

というのも気になるが

初期中期の作品と比べて

晩年(自ら選んだ晩年ではあるが)の作品は異質なものであった。

 

 

 

 

--歯車--

芥川龍之介