コロナの時代の僕ら パオロ・ジョルダーノ | (本好きな)かめのあゆみ

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--だから僕は今、忘れたくない物事のリストをひとつ作っている。リストは毎日、少しずつ伸びていく。誰もがそれぞれのリストを作るべきだと思う。そして平穏な時が帰ってきたら、互いのリストを取り出して見比べ、そこに共通の項目があるかどうか、そのために何かできることはないか考えてみるのがいい。--

(パオロ・ジョルダーノ「コロナの時代の僕ら」 著者あとがき コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと から)

 

日記というか日々の出来事や思いを記録すること記憶することはとてもたいせつだと思う。

パオロ・ジョルダーノさんのこのエッセイ集もそんな日々の記録でありまさに渦中であるいまにとっても(何年先かはともかく)生きていればやがて訪れるであろう収束後にとっても意味のあるものになるだろう。

 

ものすごく斬新なことが書かれているわけではないけれども数学者としてまた人間として落ち着いて広い視野で過去や未来も射程に入れつつ思考されているのがよくわかる。

 

エッセイに書かれている内容はぼくにとっても共感できるところが多い。

 

エッセイの内容を思い出したくなったら本を読み返すとしてここではぼくの忘れたくない物事のリストを残しておこう。

 

 

ぼくは忘れたくない。

1月にはほとんど意識することなく

2月もまるでひとごとで大袈裟だなあと感じながらそれに付き合って

2月の終わりになってにわかに慌てだしたけどそれでもまだまだ全然軽く考えていて

3月4月はただただきりきり舞いしていたことを。

 

ぼくは忘れたくない。

感染者がとなりで食事していたとしてもそれで感染することなんて絶対にない

みたいなことを2月くらいは言っていたし

症状が出る前に感染させることはないってことも言っていたから

症状が出るまではマスクなしでも問題ないし

症状がないひとと食事をすることも全然気にしなかったけど

それがいまでは

食事は横並びでお喋りはせずにとか

発症の2日前から感染可能性があるとか

言っていることを。

(正体がわからない感染症には最初から最大限の注意を払うべきだと学んだ。)

 

ぼくは忘れたくない。

マスクは感染しないためには役に立たないって言っていたのは

マスクの不足によるパニックを起こさないためで

マスクに余裕があるのなら

マスクの装着を積極的に推奨して

さっさと全員にマスクを装着させていたに違いないだろうということを。

(マスクの買い占めか買い貯めか売り控えかわからないけど

そういうのを抑えるための規制っていうのは必要だ。

マスク不足が心理的な不安を増幅させたのは間違いないし

実際にマスクが不足したことによって感染が拡大した可能性もあると思っている。

マスクを購入するために販売があるかどうかわからないのに早朝から

ドラッグストアの前に列ができていた。

小学校の給食係か?!と鼻で笑っていた布製のマスクがまさかの定着。

使い捨てマスクは医療従事者に優先させるというメッセージでぼくも

布マスクを愛用しているがいまだにその性能を信じていなかったりする。

アベノマスク!!いろいろ正当化するけど無駄遣いも甚だしい。

マスクの単価がそれまでの1枚7~8円から100円まで上がったこともあった。

そこだけ見たら買い貯めしたひとは賢い消費者ということになる。

もちろん利己心が批判されるが。

マスクの製造を海外に任せすぎているのもわかった。

まあ1枚7~8円というのは海外の労働搾取の可能性もあるので

国内製造なら50円前後が妥当なのだろうか。

マスクは病人がするもの

としていた欧米でもこれを機にマスクが定着しそうでもある。)

 

ぼくは忘れたくない。

PCR検査を全員にする必要はないって言っていたのは

そういう対応ができる状態ではないと正直に言うとパニックが起こるからで

PCR検査を全員にさせる態勢が整っていたのなら

受けさせる方が良いに決まっていることを。

(ぼくはだから今回のやり方は正解だったと思っている。

正直なところちゃんと説明していたらたしかにパニックになって

もっとひどいことになっていたと思う。

すべてのひとが理性的な判断をできるわけではないから

安心させるための方便っていうのは必要だとぼくは思うから。

でも次回に備えてPCR検査を十分にできる態勢は整えておいてほしい。

ただし非常時に備え過ぎて平常時のコストがかかり過ぎてしまうのはやはり良くないので

どこかでバランスをとる必要があり

そのことについての市民の合意は平常時から得ておくべきだ。)

 

ぼくは忘れたくない。

インバウンドの経済的効果を考慮するあまり

入国に対する制限に躊躇し

感染拡大につながったことを。

(次に感染症が起こったときにはとにかくただちに入国制限をかけ

入国あるいは帰国後2~3週間は隔離しておくべきだ。

国内にウイルスを入らせないことがもっとも肝心。

これによって経済的な損失も招くだろうが

国内で感染拡大させて失う損失よりはましだろう。)

 

ぼくは忘れたくない。

医療従事者の苦悶と葛藤と献身を。

そして福祉介護保育関係者の苦悶と葛藤と献身を。

(医療従事者というと医師や看護師だけを思い浮かべてしまうが

病院にはさまざまな役割のひとがいて

清掃の仕事や医師や看護師の補助業務など

それこそ不安定な収入で働いているひともたくさんいる。

福祉介護保育の仕事に従事しているひとたちも

相対的に収入は低い。

それらのひとたちも同じように苦悶し葛藤し献身してくれている。)

 

 

ぼくは忘れたくない。

医療従事者に向けられた心無い誹謗中傷や実際的なひどい仕打ちを。

(病院からバスに乗ろうとした医療従事者が乗客から

うつるからバスに乗るなと攻撃されたとか

こどもが保育所のなかで他のこどもたちから隔離させられていたとか。

バスに乗るなの件はきっとそれを言ったひとも

ほんとうに不安に思っているから言ってしまったのだろうし

保育所で隔離させられたのも

それを求めたのはおそらく他の保護者で

その保護者も自分のこどもを守るための不安から出た求めだったのだろう。

彼ら彼女らを非難することはたやすいけれども

それだけでは委縮するだけになる。)

 

ぼくは忘れたくない。

飲食店や遊興施設などの関係者がことごとく収入を断たれたことを。

(ぼくは冷たくなじみの店にも行かなくなってしまったけれども

その店にふたたび通うのは気が重いのでもう行けないかもしれない。

困っているひとを見捨てたような気がしている。)

 

ぼくは忘れたくない。

いっぽうでなんら影響を受けなかったりむしろ収入が増えた分野もあることを。

そして格差が広がっていくことを。

 

ぼくは忘れたくない。

いまのこの状況はけっして予期できなかったことではなくて

感染症の研究者たちの間では十分予想できたことで

警鐘も鳴らされてきたが

ぼくたちにはそれを聞く耳も想像する理解力もなかったことを。

想像できないのではなくて想像したくないから想像しないことを。

 

ぼくは忘れたくない。

新しい生活様式をこれからどんどん進化させていかないと

ウイルスと付き合いながら暮らしていけないことはわかりきっているのに

人間はついつい以前と同じように暮らそうとしてしまうことを。

 

ぼくは忘れたくない。

その気になったら仕事を休んでも休ませてもどうにかなることを。

 

ぼくは忘れたくない。

満員電車もやめようと思ったらやめられることを。

 

ぼくは忘れたくない。

これまでどれだけ飲み会で無駄な時間を費やしていたかを。

これからは飲み会は厳選したい。

 

まだまだいろいろあるはずだけど今日はここまでにしておく。

 

これからも気が向いたら追加していきたい。

 

記憶すること記録することはとてもたいせつ。

 

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--コロナの時代の僕ら--

パオロ・ジョルダーノ

飯田亮介 訳