読後しばらく経っているのだが
なかなか感想を書く気力がわかなかった。
作品としては良かったので
書く気力がわかなかったのは作品の問題ではなく
ぼくのメンタルの問題だろう。
ただただ中途半端な半身の姿勢で
状況をうかがう日々が続いているせいで
小説の感想を書く
というスイッチが入らなかったのだ。
で
ステイホームのゴールデン・ウィークも残りわずかとなって
ようやくその気がわいてきたので書いてみる。
ペストに象徴されるなんらかの不条理に
前触れもなく突然襲われたひとびと。
いや
前触れはあったのだが
正常化バイアスのせいでその兆候を過小評価してしまったのだ。
人間界にはよくある話である。
小説としてはもっとドラマチックに描くこともできる素材だが
そこを淡々と記録風に描いているところに理性を感じる。
その理性はカミュのものであるのは当然だが
医師リウーのものでもある。
ペストに襲われた街の描写が巧みで
まさにいまの世界と重なることも多いのだが
そういう部分よりもむしろぼくは
ひとの行動に注目した。
ペスト禍に見舞われたときには
この小説の登場人物たちのように
さまざまな行動パターンが見られる。
神の意図とみなして信仰を篤くする者
愛する者に会うために壁を抜け出そうとする者
自分の小さな役割と小さな仕事に集中する者
自分を含めた人間への不信感から善なる行いに勤しむ者
社会の混乱に乗じて平時の罪を免れようとする者。
ふつうの感覚かもしれないけれど
ぼくは医師リウーの考え方や行動に共感を覚えた。
自分は被災者のために何もできないけれどとにかくいまは自分のやれることをしっかりとやる
っていうのは災害時にはよく言われることだが
ぼくは常々その言い方は
自分が何もしないことを自分で赦すための
逃げ
のような気がしていて
自分のやれることをしっかりとやるのなんて当たり前じゃん
それ以上のことをやらないと意味ないじゃん
ただの自己満足じゃん
って考えている。
で
リウーの行動もたしかに
自分のやれることをしっかりとやる
なんだけど
しかし
その深さは誰でもがまねできるものではない。
これくらい深く
自分のやれることをしっかりとやる
を実践するのならそれにはぼくも敬意を表する。
で
リウーは世界を俯瞰している超人的な人間なのかというと
そういうわけではけっしてなくて
表現は控えめだけれど
妻や母への愛はもちろん
友人や患者への思いやりも深いという
きわめて人間的な人間なのである。
理性と情緒は深いところで両立することができる。
ランベールみたいな熱い愛情もいいし
タルーみたいな精神的概念的なこだわりもいい。
でもぼくはやっぱりリウーの生き方に好意を抱く。
現在進行形で
これからすくなくとも1年以上は付き合わなければならないこの状況にあって
リウーのような生き方は折々にぼくを支えてくれるだろう。
ランベールが壁を抜けることにこだわって
リウーと言い争いになっていたとき
タルーがランベールにリウーとリウーの妻が置かれている状況をそれとなく伝えたときに
ランベールの気持ちが揺れたという場面がいいなと思った。
リウーとタルーが泳ぐシーンも印象的だった。
--ペスト--
カミュ
宮崎嶺雄 訳