選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子 河合香織 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

科学技術の進歩の速さに

人間の倫理観の更新が追いついていない。

 

科学技術の進歩

って書いたものの

進歩がポジティブな意味だとすると

この場合の進歩は違う言葉に言い換えないといけないかもしれない。

 

全然ポジティブじゃないから。

 

出生前診断で

医師が検査結果をケアレスミスで読み違え

染色体異常があるにもかかわらず

ないと伝えた。

 

産まれた赤ん坊は親の予期に反して重い障害を抱えていた。

 

出生前診断の結果が正しく伝えられていたら

両親は中絶を選ぶつもりだったという。

 

産まれた赤ん坊は重い障害を抱えたまま

間もなく亡くなる。

 

ノンフィクション作家の河合香織さんが

ていねいに関係者を取材する。

 

その対象は多面的であり

一方的なストーリーに寄せていかない。

 

ここにはたくさんの倫理的な問題が存在する。

 

そもそも出生前診断を受けるべきかどうか。

 

出生前診断を受ける理由はなにか。

 

出生前診断を受けない理由はなにか。

 

出生前診断の結果に問題がある場合どうするか。

 

出生前診断に誤診があった場合どういう問題が起こるか。

 

そもそも出生前診断はあくまでも可能性を示すものであって完全なものではない。

 

出生前診断の結果と逆の結果が出ることもあるし

結果通りだとしても程度には大きな差がある。

 

程度の差に線を引けるのか。

 

引けるとした場合どこに線を引くのか。

 

程度は産まれてみないとわからないし

産まれてからもいつまでもわからないかもしれない。

 

重い障害を持って産まれてきて間もなく亡くなった赤ん坊自身に

産まれてきた苦痛の損害賠償や慰謝料の請求をする権利はあるか。

 

あるとすればいつから発生するか。

 

意思表示の手段を持たない赤ん坊自身の苦痛は誰が認定するか。

 

本人以外の者が本人の苦痛を認定することができるのか。

 

重い障害とはどの程度か線を引けるのか。

 

損害賠償や慰謝料を請求をする権利があるとすればその相手は誰か。

 

産んだ親にか誤診をした医師にか。

 

産んだ親の苦痛とは何か。

 

苦痛を主張する資格はあるか。

 

そもそも出生前診断で診断できるのは一部の障害でしかないのに

そこで命の選別をしてしまって良いのか。

 

産み育てる社会環境が整っていない中で産むことは正しいのか。

 

障害を持って産まれてきて現に今生きているひとたちにどう説明するのか。

 

命を選ぶことはできるのか。

 

命を選ぶことができるのは誰か。

 

産む者か。

 

医師か。

 

国家か。

 

社会か。

 

これから産まれてくる赤ん坊自身に

産まれるかどうかを選ぶ権利はないのか。

 

こんな重たい決断をさせられるなんて

赤ん坊を授かる前に誰が想像しているだろう。

 

こんなことを迷いなく決断できるひとがいるだろうか。

 

妊娠する前に入念に検討することは可能かもしれないが

そんなことを考えて妊娠するひとは

世の中にどれだけいるだろうか。

 

仮に考えていたとしても

いよいよその問題に直面した時に

考えは揺るがないものだろうか。

 

胎児の成長という待ったなしの時間的制約の中

短い時間でその決断をしなければいけなくなるが

崖っぷちで指先一本で引っかかっているときにした決断というものは

後の人生でも後悔しないでいられるほど正しいものなのか。

 

すべての命を安心して産むことができる社会であれば

こんなことは何も問題にならないのかもしれない。

 

でも

社会がそうなっていない以上

それぞれの決断に意見できるひとなんているのだろうか。

 

すくなくとも

どのような決断を行ったとしても

生涯その決断が正しかったかどうか葛藤し続けることになるだろう。

 

忘れてしまうことは難しいだろう。

 

こういうことを知れば知るほど

子どもを産むことに躊躇いを覚える女性は多くなるだろう。

 

そもそも産むことを選択しなければこのようなことで迷う必要はなくなるかもしれない。

 

出生前診断の技術の進歩は誰も止めることはできないだろう。

 

技術が進歩すればするほど

命の選別という葛藤を抱えるひとは増え続けていくだろう。

 

その葛藤に耐えられるだけの感性や知性を持てるひとはどれだけいるだろう。

 

ぼくには自信がない。

 

でも世の中には

ありのままの命をこころの底から尊いと思えるひとが少なからずいるのもほんとうなんだよな。

 

そう思うと自分は酷く冷たい人間だなと思うし哀れな人間だとも思う。

 

それを社会のせいにするのは簡単なんだけど

そうじゃないひとがいるわけだから

ただの逃避ってことになるんだよな。

 

こんな葛藤はしたくないので

子どもを産むことに躊躇いを覚えることになる。

 

ぐるぐるまわっていく。

 

ぼくがこんなふうに勝手に葛藤している間にも

新しい命は産まれていくし

当事者にならない限り葛藤することもないし

なんだかんだいって人間は

生きること

産むこと

が本能に組み込まれているから

それに抗うのは不自然なことなのかもしれない。

 

 

 

 

--選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子--

河合香織