ことばに頼りすぎている。ことばはことばであるがゆえに、すでにそのことで痩せている。ことばに置き換えた時点で、もうはじめの姿は失われている。五官で感じたそのものが世界のすべてであったはずなのに。
ことばは音には敵わない。ことばは味には敵わない。ことばは色には敵わない。ことばは匂いには敵わない。ことばは痛みには敵わない。音をことばであらわす試み、味をことばであらわす試み、色をことばであらわす試み、匂いをことばであらわす試み、痛みをことばであらわす試み、すべては徒労に過ぎない。聴いてごらん、舐めてごらん、視てごらん、嗅いでごらん、触れてごらん。ことばに置き換える必要なんてない。感じたそのままがもっとも正しくその経験をあらわしているのだから。
忘れていく、忘れていく。こどものころの、ことば以前の感じ方。ことばを知らないこどもたちには、五官が世界そのもので、聴こえる笑い声や、舐めた甘さや、視える回転や、匂う空気や、触れた手のぬくもりが、ことばという媒介を経ることなく、直接、減衰も増幅もすることなく、わたしの世界に接触してくる。いや、そもそもわたしなんていない。わたしは世界という認識の一部分にすぎない。そして部分であることは全体であることと同じである。つまり世界の全体であるわたしはわたしを発見することなどできるはずがなく、したがってわたしに囚われることもなく、積み重なり、広がり、膨れていく。