特攻 なぜ拡大したのか | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

熱量。

 

NHKエンタープライズのディレクターである著者の

渾身の1冊である。

 

執念が感じられる。

 

綿密な取材に裏打ちされたどの一文も重い。

 

戦争を終わらせることはほんとうに難しいと思う。

 

特攻を美化することも批判することも

現代に生きるぼくたちが軽々しくできることではない。

 

武田泰淳の

ひかりごけ

を思い出す。

 

--自分が裁かれるのは当然だが、自分は人肉を食べた者か、食べられた者によってのみ裁かれたい

 

そのときその現場にいた当事者にしか絶対にわからないことがある。

 

インタビューや会議の場で語られたことばや

書かれた手記や遺書や文書が

必ずしも真実とは限らない。

 

本人でさえもわからない。

 

事後に語られたものはもちろん

語った瞬間でさえ

それが本心かどうかはわからない。

 

自分の胸に手をあててみれば

すぐにわかるだろう。

 

人間はいつも理性的に生きているわけではない。

 

ときに不合理なこともあたりまえのようにする。

 

--自分の今置かれた境遇。その存在が意識を決定するとか言うじゃない、フランスか何かの思想家の言葉で。非常に自然だったんですよ。

 

戦時中が特別だったわけではない。

 

組織の論理や

集団における個人の意識なんていうものは

いまも戦時中もそう変わらないだろう。

 

明確な悪意をもって行われる悪はいつもごく少数で

その大多数は

善意からであったり

まじめさゆえであったりするのだ。

 

丹念な取材によりこの本にはそれが克明に記されている。

 

特攻が戦況の見極めを誤らせたからといって

彼らがそれに抗うことが可能だったとはとうてい思えない。

 

自分がその立場だったとしたら

きっと疑問を抱きながらも命令に従うだろうし命令もするだろう。

 

あるいは疑問さえ抱かないかもしれない。

 

卑怯者

臆病者

と蔑まれることと

生き延びることを

天秤にかけてどちらを選ぶかは

そのひとの生き方の問題でもある。

 

とにかく生きろ

というのは現代のぼくたちが

ぼくたちの境遇のなかで発することばに過ぎない。

 

その時の自分にとって

腑に落ちるか落ちないか。

 

終戦を遅らせた要因。

 

徹底抗戦を唱えたひとたちの真意は何だったのか。

 

きっとひとことであらわせるような単純なものではなかっただろう。

 

あとから思えば不条理なことも

当事者にとっては自然なことであるというのは

よくある話である。

 

反省することはたいせつだし

同じ過ちを繰り返さないために

真摯に振り返ることには意味がある。

 

それはたいせつなことだ。

 

たいせつなことだとはわかっているが

起こったことの解釈はただの妄想になりがちだ。

 

戦争を終わらせることはほんとうに難しい。

 

一度始まった戦争は

ひとびとの人生を翻弄する。

 

極限の

葛藤

ジレンマ。

 

だから戦争を始めないことにもっともエネルギーを注ぐべきだ。

 

戦争放棄

の意味の重さは

戦争で人生を翻弄されたひととそうでないひととでは

まったく異なるだろう。

 

 

 

--特攻 なぜ拡大したのか--

大島隆之