『罪と罰』を読まない | (本好きな)かめのあゆみ

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罪と罰。

ぼくは過去に読んだことがあるのですが
この本は
罪と罰を読んだことがない4人が
読まずに読む読書会みたいな体裁です。

読んだことがないといっても
名作なのでみなさん断片的な情報は持っています。

主人公が殺人を犯すとか
大地に接吻するとか。

読まずに読む
といっても
完全に空想ではなく
まずは最初と最後のそれぞれ1ページずつを
スタッフの方に読んでもらいます。

そこから
作品の全体像について推理をスタート。

ある程度推理が進んだら
途中でその他のページも何か所か読んでもらい
その都度
推理の確認や修正などをしていきます。

読んだことのあるぼくからすると
的外れな推理でじれったくなったりすることもしばしばありましたが
逆になかなか鋭い推理だなと思うこともありました。

特に
三浦しをんさんの推理はなかなかのものでした。

それから対談のなかでは
ラスコーリニコフのことを
ラスコ
って呼んだり
マルメラードフのことを
マメ父
って呼んだり
スヴィドリガイロフのことを
スベ
って呼んだり
もう言いたい放題。

ラズミーヒンに至っては
修造
って呼んだり
もうひどいこと。

でもなんかちょっとうまく言えてる感じで
笑える。

ちなみにポルフィーリイは
愛之助。

ところどころこの名作に向かって
不遜っぽい発言も多かったのだが
それも軽く呑み込む懐の深さが
名作の名作たるゆえん。

この作品以外にこういう企画が書籍化され
出版されるなんてことはないだろう。

結局
推理しているうちに読みたくなってきた4人。

読んだ後の感想が大絶賛で
そりゃそうだろう。

ぼくもかつて読んだ時には
教養を深められるかな
なんて打算的な意図で読み始めたのだが
最初こそ
❝説明的なセリフ❞
に慣れずに苦戦したものの
慣れてしまうとスリリングな展開にのめりこみ
完全にエンターテインメントとして楽しみました。

ラスコーリニコフとポルフィーリイの心理戦。

手に汗握ったなあ。

戦場で100人殺せば英雄
日常で1人殺せば殺人。

大善を為すためになら
小悪は咎められない。

英雄は法を踏み越える権利を持つ。

正確な引用ではないけれど
こういうテーマも当時のぼくには新鮮だった。

でも
今回この本を読んでみて気になったのは
エピローグのこの一文。

--どのみちそれらの質問への答えをきちんと頭で考えることはできなかったに違いない。彼にはもはや感じることしかできなかった。論理学のかわりに人生が到来し、そして彼の意識の中で、何かまったく性質の異なるものが実を結ぼうと動きはじめているらしかった。

論理学のかわりに人生が到来。

いいなあ。

ぼくもようやく最近
世界は理屈でできているわけではない
なにもかもに理由があるわけではない
不合理なことはけっしてなくならない
人間は感情の生き物である
っていうことに気づいてきたところだからだ。

時間がかかったし
まだ完全に理解したわけではないけれども
これに気づかなかったら
いつまでも理屈だけで世界を理解しようとしていただろうから
結局何もわからないままだったに違いない。

あぶないあぶない。

話をこの本に戻すと
読んでからの対談には
もしかしたらドストエフスキーに詳しいひとを
1人くらいメンバーに混ぜてもよかったのでは
とも思ったのだが
やっぱり詳しくないひとたちだったから
新鮮な感想になったのだろうとも思う。

本を読む
とはいつから始まりいつまで続くか。

しをんさんも書いているとおり
よい作品なら
ページをめくっている間だけではなくて
本の存在を知ったときから始まり
そして
いつまでも折りに触れて思い出すのでいつまでも続く
っていうそういうことなんだろう。

ぼくにもそういう本がたくさんあってうれしい。





--『罪と罰』を読まない--
岸本佐知子
三浦しをん
吉田篤弘
吉田浩美